「戦争背景・火器編」「飛行機・戦車編」と過去2回に渡ってお送りしてきた本記事も3回目。今回は『バトルフィールド』シリーズでは1942以来となる「戦艦」を含む「艦船」と、戦場で大きな役割を占めた「大砲」に焦点を当てて解説していきます。なお、いつものことながら「この時代の艦船ってどんな活躍をしたの?」「大砲の役割ってなに?」といったことが知りたい人向けの内容です。
■艦船の役割
船は昔から大量輸送手段として重宝されてきました。その役割は第一次世界大戦当時はもちろんのこと、現代においてもあまり変わっていません。戦争における輸送路の確保は非常に重要で、特に植民地争奪戦となった帝国主義全盛の時代には、本国の勢力を維持するため、資源のみならず食料事情すら植民地に依存している場合もあり、植民地と本国との安全な輸送路の確保は死活問題でした。
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第一次世界大戦前、歴史的あるいは地政学的な理由から最大の海軍力を保持していたのはイギリスでした。一方でドイツ帝国も皇帝ヴィルヘルム2世が植民地政策における海軍の戦略的重要性を考えるようになり、海軍の建設がすすめられます。1896年ごろからドイツ帝国も海軍力増強をはじめ、それに対抗したイギリスとの間で建艦競争が生じました。第一次世界大戦が発生する頃までにドイツ帝国は世界有数の海軍大国としても知られることとなります。また、大戦中には新兵器である「飛行機」を搭載する水上機母艦、実戦投入には間に合いませんでしたが、全通甲板を採用した空母などが生まれました。
■戦艦の登場と進化
17世紀海軍の主力を担っていた「戦列艦」でしたが、19世紀には戦艦の始祖といわれる装甲艦が誕生しました。19世紀から20世紀初頭にかけて艦船の進化は凄まじく、「戦艦」や「巡洋艦」などの艦種が登場し「大艦巨砲主義」という思想が生まれます。特に戦艦は「ドレッドノート」を境にした大きな革新が起こり、それを基にした戦艦を「弩級戦艦」と呼び、それ以前の陳腐化した戦艦を「前弩級戦艦」と呼ぶようになりました。また日本の巡洋戦艦「金剛」型などの「ドレッドノート」を超える戦艦も登場し「超弩級戦艦」と呼ばれます。弩級戦艦の特徴としては「単一巨砲」という思想が取り入れられた事があげられ、これによって照準計算や物資補給など艦運用の効率化、戦艦による「斉射」戦術が確立されていきます。
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戦艦ドレッドノート
建艦競争により海軍力を増強したドイツとイギリスですが、第一次世界大戦で大規模な艦隊戦闘が行われたのは「ユトランド沖海戦」の一度だけでした。両軍ともに数十隻の戦艦を投入したこの戦いはイギリス側が巡洋戦艦3隻喪失、ドイツも巡洋戦艦1隻と弩級戦艦1隻を喪失するなど、痛み分けに終わることとなります。この戦いで防御力を犠牲にして速力を重視した巡洋戦艦が弩級戦艦に対して不利となることがわかり、後の海軍戦略に影響を与えました。この後、ドイツ艦隊は大規模な作戦行動を取ることはなかったものの、保有している戦力は依然として大きく、イギリスは対抗するための主力艦隊を北海に集中させる状況となりました。
■Uボートと無制限潜水艦作戦
近代潜水艦は1900年にアメリカ海軍で初めて採用された「ホランド級潜水艦」がその幕を開けたといわれています。この潜水艦はアメリカをはじめ、イギリス、カナダ、日本、ロシアで採用され、その後の潜水艦技術の発展に寄与しました。一方のドイツも戦前は他国と比べて少々の潜水艦技術で遅れをとっていましたが、独自に潜水艦を開発していきます。第一次世界大戦初期においてこれらの潜水艦は補助戦力として保有されていましたが、開戦後のドイツのUボートが巡洋艦3隻を立て続けに撃沈する戦果を挙げて、世界に大きな衝撃を与えました。
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被雷するルシタニア号
単独で大きな戦果を挙げたドイツのUボートですが、その後は隠密性といった特性を生かし、通商破壊作戦に利用されるようになります。1915年2月から始まった無制限潜水艦作戦は「イギリスに向かう商戦に対して無警告で攻撃する」というもので、多数の商船が撃沈され、イギリス経済に対して非常に大きな打撃を与えました。しかし、作戦を開始した3か月後の1915年5月に英国船籍の客船を撃沈、1198人が犠牲となる「ルシタニア号事件」が発生。犠牲者には当時参戦していなかったアメリカ人の乗客128人が含まれており、そのことがアメリカ世論の反発を招き、後のアメリカ参戦への呼び水となりました。この事件のあとアメリカ参戦を恐れたドイツは無制限潜水艦作戦を中止しますが、1917年2月に再び作戦は発動され、アメリカが参戦する理由の一つとなりました。大戦を通じて苦しめられたUボートによる襲撃ですが、作戦再開時には英国も通商破壊への対抗策を考えており、「護送船団」が採用された後には被害が激減しています。
■戦場の要となった大砲
第一次世界大戦初期、砲兵は直接照準射撃による敵の撃滅が役割でした。第1回の記事でもチラリと説明したように、歩兵の火力の向上と防御陣地によって砲兵の効果が上がらないばかりか反撃によって手痛い損害を受けてしまいます。今でこそ当たり前となっている観測員を介した「間接射撃」ですが、当時は通信手段が確立されておらず、砲兵の主要な攻撃方法にはなりえませんでした。しかしながら、膠着する戦線と砲兵戦術の発展、新兵器「飛行機」の登場などによって間接射撃が主要攻撃方法となり、歩兵の突撃支援あるいは敵の突撃を粉砕するための弾幕射撃によって、一度の攻勢で数百万あるいは数千万もの砲弾を使う大量消費戦へと突入します。攻撃においても防御においても砲兵の支援なしでは立ち行かなくなり、戦場の主役となったのでした。
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戦線を維持するためには砲兵が不可欠であり、重要な戦力であったが故に歩兵が敵陣地を突破した際には、その機動力の低さが問題となりました。陸上兵器としては大きく鈍重な砲兵隊は自走する手段も持たないため、味方の歩兵に追従できず、せっかく奪った陣地が容易に奪還されてしまいます。そうした状況は終戦まで解決することはありませんでしたが、少数ながら「マークI」戦車を改造した「ガンキャリアー」と呼ばれる世界初の自走砲も生まれました。
■禁断の兵器「毒ガス」
世界で初めて起こった世界規模の戦争は、現在ではタブーとなっている凄惨な兵器「毒ガス」が投入されました。強固に防御された塹壕戦を打破するためにはありとあらゆる手段が考案され、その中でも大きな戦果を挙げたのが毒ガスでした。空気より比重の重い毒ガスは深く掘られた塹壕内に滞留し、多くの兵士の命を奪いました。最初は大量のボンベから風下に向かって一斉に放出する方法が用いられていましたが、後に砲弾にガスが詰め込まれ、遠距離から直接敵陣地に対して撃ち込まれるようになります。
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毒ガスの一斉放出。風向きによっては自軍にも被害が出た。
最初にこの兵器を使ったのはドイツでしたが、あらゆる面での効果の高さから連合国側も使用していくことになります。また、初期の毒ガスには催涙ガスが使われていましたが、後に窒息性である塩素系のガスが使われ始め、防毒マスクなどの装備が整ってくると効果が薄くなり、糜爛剤の「マスタードガス」(イープル戦線で初めて投入されたことから「イペリット」とも呼ばれる)が使われました。
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今回は「艦船」と「大砲」そして「毒ガス」について紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。第一次世界大戦について少しでも理解を深めてもらえれば幸いです。記事内にはキーワードを盛り込んでいるので、より詳しく知りたい人は調べてみると興味深い発見があるかもしれません。
『バトルフィールド 1』は2016年10月21日発売。その前にはE3やgamescomといった大きなイベントもあり、これからの情報公開に大きな期待が寄せられます。それではまた戦場でお会いしましょう。
【参考資料】
世界の戦艦 / 学研
WWI WWII Uボートパーフェクトガイド / 学研
第一次世界大戦の歴史大図鑑 / H.P.ウィルモット
神経ガス戦争の世界史 / ジョナサン.B.タッカー
第一次世界大戦陸戦史 / 別宮 暖朗