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2020年6月30日に、1995年6月30日の初代発売から25周年を迎えたフライトシューティングゲーム『エースコンバット』シリーズ。今回は25周年記念ということで、現時点でもシリーズ開発に携わる主要スタッフを中心に、過去作の主要なタイトルを振り返る形でのインタビューをリモート形式で実施しました。
『エースコンバット』シリーズは、コンソール向けのタイトルだけでなく、携帯機や海外で開発されたタイトルも含めると2020年8月までに16作品がリリースされています。また昨年にはシリーズ最新作『エースコンバット7 スカイズ・アンノウン』が発売され、ワールドワイドでの販売数が200万本以上を超え、『エースコンバット04』以降の大ヒットを記録しました。
インタビューに参加してくれたスタッフは、ブランドディレクター河野一聡氏と『7』プロデューサー下元学氏、アートディレクター菅野昌人氏、ナラティブディレクター糸見功輔氏、バンダイナムコアミューズメントから井本一史氏(『アサルトホライゾン』のDFMシステムの開発と『マッハストーム』のディレクター)、DLCディレクター夛湖久治氏、VRプロデューサー玉置絢氏、『7』開発ディレクター小柳匡史氏の合計8名です。
なお本記事はシステム的な都合のため前後編に分割しました。前半は初代『エースコンバット』と『2』、『3』、『04』、『5』、『ZERO』、までのPS/PS2時代を振り返る内容。後編は『6』から『アサルトホライゾン』と『インフィニティ』、そして『7』までとなっています。
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今一度振り返る90年代の『エースコンバット』―衝撃のエンブレムとカラーリングから歴史が始まった
――今日はよろしくお願いします。25周年記念ということで初代からじっくり聞いていきたいと思います!初代から開発に関わっている菅野昌人さんは、『エースコンバット』初仕事として特徴的な「スカーフェイスのエンブレム」をデザインしたと第58回日本SF大会に出席した際にお話されたそうですが、機体カラーリングも含めてどのような経緯で誕生したのでしょうか?また当時のユーザーからの反応はどうでしたか?
菅野氏: 25年前の6月というのは、ちょうど僕が大学を卒業した時期でした。初代『エースコンバット』は、初代プレイステーション発売(1994年12月3日発売)から半年ぐらいでの発売ということで、卒業制作とアルバイトを並行しながら、エンジニアやアーティストなど正社員の方々と一緒に仕事させていただきました。
「スカーフェイスのエンブレム」は当時のディレクターによる社内公募というか、「一際目立ってユーザーに強い印象を与えるデザインは無いか?」というコンペティションみたいな形が出発点です。そこで当時の私はグラフィックツールIllustratorの練習としてデザインし、ディレクターに気に入っていただいたのがスカーフェイスのエンブレムでした。
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また機体のデザインは、当時好きだったバイクのファイアーパターンをモチーフにデザインしたら、これも意外とディレクターに気に入られてしまって自分でも驚きました。それまでのいわゆるミリタリーの世界とは大分違っていて、インパクトが強かったのではないかと思います。アクの強いデザインでしたが、結果的に目立つことができ、『エースコンバット』の今に繋がっているのかなと思います。
――あのスカーフェイスのエンブレムや機体カラーデザインは筆者が小学生の時に初めて見た事が強く印象に残りました。
菅野氏: 当時の私は、先輩方が描かれていた沢山の種類の機体が集まった編隊飛行の画を見て、「こういう”族”っぽいノリの方が面白いのかも?」と若いなりに解釈していましたね。
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――ちなみに当時のユーザーからの反響はどうでした?
菅野氏: その当時(1995年)はインターネットではなく、ゲームソフトに付属しているアンケートハガキがユーザーからの反響の全てだったんです。段ボール数箱に渡ってアンケートハガキが来て、他の開発者と一緒に楽しみながら楽しい時間を過ごさせていただきました。その中で「カラーリングはもっとミリタリーテイストにしてくれ!」と直球な次回作への要望がありました(笑)。
――ハガキで感想が届いていたという時代が強く表れているのですね。
菅野氏: アンケートハガキを送ってくれるお客様は熱量がハンパなかったですね。人によっては次回作のシナリオを考える人や、「自分だったらこうする」とデザインを送ってくださる方もいました。今のSNSが流行っている状況でも気持ちは同じではないかと思います。
――印象に残っているアンケート文はありましたか?
菅野氏: 「夜景が凄く綺麗だった、もっと飛びたい」と感想がありました。初代『エースコンバット』には先輩が作った夜間ミッションがあるのですけれど、その当時、技術的にポリゴン数を沢山表示出来ない制約がありました。それを逆手に取って、暗闇と町明かりを使い分けた素晴らしい都市の表現がありました。それがユーザーの方々の印象にも強く残ったのではないかと思います。私もああいう夜景を作りたいなと思い、『エースコンバット2』では夜景面も担当していました。
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――『エースコンバット2』の話題が出たところで、続けて1997年に発売された『2』に話を移りたいと思います。河野さんの『エースコンバット』シリーズ初仕事は『2』のグラフィックデザインとありますが、当時大変だったことは何か覚えていますか?
河野氏: 当時開発していて大変だったことは菅野君でした。彼が言うこと聞かない若い人だったので僕がお目付役でしたね(笑)
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菅野氏: 当時はテクスチャとか質に関するところを一回全部河野さんのところでフィルターをかけよう、となったのですよね……。
河野氏: そう。フィルターをかけようというか締め切りを守ろうだよね(笑)菅野君が締め切りを守ってくれないので……。違うや、菅野君があまりにもクオリティの高いミッションを作るから、他のミッションとクオリティが合わなかったんだよね。
出来の悪いところを直すところが僕の役で、「出来の悪いミッションを直してこれで終わった」と思っていたら菅野君が自分のミッションに手を入れているから、またそこに合わせて全部を引き上げるっていう(笑)菅野くんの思い出しかないですね。今も変わってないでしょ、ねぇ糸見。
糸見氏: 何にも変わってないですね(笑)20年前から時が止まった感じがします。
河野氏: まったく進歩がないよね(笑)下元が改善した方がいいんじゃない?
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下元氏: その当時から今の二人の関係ができあがっていたことがよく分かりました。品質につながっているいいことですよね。あとは締め切りさえ守っていただければ…(笑)
――ちなみに『エースコンバット2』におけるオリジナル機のXFA-27やADF-01が登場した経緯は覚えていますか?
菅野氏:: あれは当時、機体周りを統括している藪木一心(『7』でX-02Sのデザインも担当)が、「架空戦記の文脈を『エースコンバット』にも取り入れていきたい」と強く思っていたからですね。
当時(90年代)は、第4世代戦闘機(F-15やタイフーンなど)から第5世代戦闘機(F-22やF-35などのステルス機能を有する機体)への移行期ということもあり、「戦闘妖精雪風」を筆頭に、架空機の姿や新しいメカニズムに注目が集まっている時代でした。
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そのため『エースコンバット』に特殊な機体を登場させたいという強い想いを当時のディレクターが受け取り、次々に機体を乗り換える、赤い「Z.O.E.」というAIを搭載した敵機を登場させることになりました。
――なるほど、オリジナル機のお話が聞けたところで『エースコンバット3』に移りたいと思います。『3』は1999年6月という20世紀末に登場した作品で、アニメ表現や「衝撃のエンディング」で当時多くのプレイヤーが大いに衝撃を受けたと当時の公式攻略本などの巻末インタビューでも言及されていました。この『3』から糸見さんが本シリーズに関わり始めたとのことですが、当時の社内はどのような雰囲気だったのでしょうか?
糸見氏: そうですね、新入社員として入社したころは、河野さんの下で『R4 RIDGE RACER TYPE 4』のコース看板を描いたりとヘルプ作業をしてました。『エースコンバット3』は初めてフルで開発に関わったタイトルなので思い出深いですね。
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あの時代(90年代末)は、『リッジレーサー』と『エースコンバット』を交互に作っていましたので、菅野さんは両方に関わっていましたけれど、タイミングによっては開発メンバーがかなり違っていたりしていました。
河野氏: 3作目はみんな変えたがるんだよね。
糸見氏: そう、前のメンバーと違うから変えたがるのですよ(笑)確かに『2』からの変化は凄く大きくて衝撃があったかと思いますが、システム的には360度見渡せるカメラや兵装選択など、今に続く基本仕様が生まれて、かなり完成度が高かったと思います。
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ストーリーが本格的に組み込まれたのが『3』ということに加え、脚本の佐藤大さんやアニメーション制作ではProduction I.G様、当時ナムコのアーケード部門にいた指田稔さんにUIデザインをして貰ったりと内外のクリエイターとのコラボレーションを積極的に行ったタイトルでした。
『エースコンバット』ではあるのですけれど、最初はナンバリングがついていなかったので、ちょっと外伝的というか別作品として作られた経緯もあると思います。『7』でもシネマティックディレクターを担当していただいた吉崎響さんが、『3』に影響を受けられたと仰ってましたので、フォロワーも多い作品かなと。
河野氏: 下元も『ACE3』好きだもんね。
夛湖氏: 私も大好き(笑)
河野氏: これは『ACE3』を語る流れに(笑)
――今我々が話しているこの状態(ツールを使い、画面上で顔を合わせて会話している)が『ACE3』のスフィア上での会話そのものに近いですよね。
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糸見氏: そうですね。だいぶ時代が追いついた感がありますね。
河野氏: 玉置とかどうだったの?
玉置氏: 『AC04』が最初だったのですけれど、その後過去作を『3』から初代まで遡ったので、直後にプレイしたのは『3』でした。でも、『04』と『3』がどういう風な繋がりにあるのかはその時はまったく分からなかったですね。
河野氏: 繋がっていないからねー。
玉置氏: 「同じゲームなんだ」って最初思いましたけれど、HUDのデザインが全然『04』と違ってSF寄りで好きでしたね。あのスロットルの回転があるじゃないですか。加速すると円盤がクルクル回るやつ。後で『インフィニティ』でも実際に再現しました。
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糸見氏: 当時のスペックで指田さんのデザインを動かすのは本当に大変だったんですよ。「カドが丸い!」「それを再現できるテクスチャの容量ない!」とか(笑)
玉置氏: 確かに全部カドがないですよね。
糸見氏: 僕と同期二人で実装していたんですけれど、凄く苦労しました(笑)
河野氏: 家庭用の人じゃなかったからね。
糸見氏: 当時のアーケードはもっといっぱいテクスチャ領域が使えましたからね。
河野氏: 角だけで1パーツで、4方向に回転……じゃなくてフリップか。
糸見氏: ラインは全部1ピクセルでスケール変更で伸ばすんですよね。楕円とかの円形は1/4ピースをフリップですね。
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河野氏: 菅野がずっとうなずいていたのはどうして?
菅野氏: みんなその通りだなと。なかでも『2』から『3』って凄いパラダイムシフトが起こったと思っていて、さっき言ったキャラクターや物語性が打ち出されたのは、ある意味「25周年にまでに繋がる大きな変革」だったのかなと話を聞いて思いました。戦闘機だけのゲームだったらここまで長続きしなかったんだろうなと。
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河野氏: アーケードゲームの文脈から家庭用ゲームの文脈に来て、だんだんお客様が求めるものとしてストーリーが無いゲームは厳しいよねって。プリミティブなゲームだと限界が来るし。
菅野氏: やっぱり一人遊びだったからじゃないですかね。家庭で遊ぶという。
河野氏: 他のチームでも課題になっているけれど、IPや世界観とか、今まではゲームとして売ればそれで完結してビジネスになっていたんだけど、これからは総合的にIPとして創らないと広がらないんだよね。なのでお金がかかってしょうがないね、下元!
下元氏: 突然きましたね(笑)昔……僕が子供の頃にやっていたころのゲームに比べて表現の幅、できることが広がっているじゃないですか。それにあわせて新しいスキルを持つクリエイターが必要になってきたりとか、それこそ今回で言うところの糸見さんとの掛け合いのなかで吉﨑さんが入って作っていただいたりとかしていると思うのです。なんでもできてしまうからこそ、お金の部分よりも、新しく必要なスキルを持つ人材を探すというのが大変ですね。。
河野氏: 結論として、『ACE3』が好き放題やったから、以後、なにやっても許される。になったよね。(笑)