植物の世界を舞台にしたアクションゲーム『PixelJunk Eden』から12年、今年2020年の終わりに、なんと続編『PixelJunk Eden 2』がリリースされます。
『PixelJunk Eden』はリリースされた2008年当時、独特のアクションゲームというだけではなく、音楽とアートの要素を大胆にビデオゲームへと落とし込んだタイトルとして評価されました。その後、スマートフォンアプリにて後継作『Eden Obscura』をリリースしたあと、ナンバリングタイトルとなる『PixelJunk Eden 2』に繋がっています。
今回は『PixelJunk Eden 2』のリリースに合わせ、本作がどのように作られたのかについて、本作のディレクターであるBaiyon氏にお話をうかがいます。ビデオゲームへ音楽やアートの要素を描いていく秘訣について、とても幅広く深い内容を語っていただきました。
12年ぶりの『PixelJunk Eden 2』が掘り下げたゲームデザインとは?
——前作から12年ぶりに、ナンバリングの続編となる『PixelJunk Eden 2』が制作されていたことにちょっと驚いたんです。今回、続編を手掛けた意図について教えていただけますか。
Baiyon氏(以下、敬称略):『PixelJunk Eden』は僕がゲーム業界に関わった初めてのタイトルです。それ以降も『リトルビッグプラネット2』への参加や、いろんなインディーゲームへのサウンド提供やリミックスなどを行ってきました。
僕自身もゲーム業界でずっといろんなことをやってきていた中で、『PixelJunk Eden』を制作したQ-Gamesとの関係は、京都という町で近い距離ということもあってずっと続いていました。
そんな中で4年前に僕がQ-Gamesにクリエイティブ・ディレクターとして入社したのもあって、そこから『PixelJunk Eden』シリーズが加速していったんです。
以前の外部的な関わり方ではないので、もちろんやりやすくなるし、より作品に深く関わる事が出来るようになったこともあって、その流れがモバイル用の『Eden Obscura』の制作に繋がって行きました。
そういう感じでモバイルで出したんですけど、やっぱりファンからのメールでは「コンソールのタイトルを出してほしい」という声がよく来ていたんです。「それならば家庭用ゲーム機でやってみようよ!」って話の流れがあって、そこから「やるんだったら『PixelJunk Eden 2』だよね」という話になり、今回の形になったんです。
——今回の『PixelJunk Eden 2』で、前作からゲームデザインを掘り下げた点についていかがですか。
Baiyon:『PixelJunk Eden』シリーズは今までのタイトルを通して、アクションゲームでありながらアートやサウンドを含めた驚きや発見を届けるシリーズになりつつあると思っています。
前作の『Eden Obscura』はカメラを使ってリアルタイムにビジュアルを作り出す、というモバイルならではのギミックを取り入れたタイトルだったのですが、今回はアクションペインティング(※)の要素を加えました。これは基本的にゲームプレイによって、プレイヤーに少しでもクリエイティブなフィーリングの片鱗を味わってもらえないか、という考えです。偉そうな意味じゃなくって、紙に絵具を乗せた時の興奮というか。
また今回は、プレイアブルキャラクターであるグリンプがいっぱい増えました。前作は3匹だけだったんですけど、今回はTechnoとかHouseとか、ModularやField Rec.など、音楽に関わる名前でいっぱい出てきます。
そこで自分としてはセリフをいろいろ書いて、けっこう自分でもひさびさにそこでボケを入れたというか(笑)。僕のゲームの原点は『MOTHER』なので、そういう人懐っこい感じも取り入れられたらなあと思ってやってみました。
たとえばガーデンのなかで探索していたら変なグリンプがいて、答えのない疑問みたいなことををぼそっと言って、ボヤーっとしたまま色の世界に戻って行くみたいな体験を作れたらなあとか。
いわゆるゲームディレクションの方向性では、グリンプひとりひとりに高くジャンプできるなどの特性があります。またスパイスってアイテムがあるんです。これはゲームプレイの中で手にいれることが出来るもので、いろんな能力を強化したり効果を生んだりします。
スパイスは自由に組み合わせて使うことができ、自分好みにカスタマイズできるイメージで作りました。Switchでリリースするのでカジュアルに遊べる感じというか。ボトルもパフュームとかディフューザーとかのイメージで作っています。その日の気分で選べるようなイメージがあって。ちなみにボトルの模様も水彩絵の具で全部描きました。
また、マルチプレイも力を入れています。前作も好評だったので、もちろんやろうという話でした。さっき話したアクションペインティングの要素でいうと、マルチプレイでちゃんと2Pでもビジュアルが反応するんですね。
これは重要なポイントで、2Pってけっこうサブ扱いになるゲームは多いんですが、それはもったいないと思って、今回はちゃんと両方反応するようにするなど、いろいろやりたかったことが実現出来ました。
——多様なゲームプレイに対応しているんですね。
Baiyon:あとは、しばらくプレイしているとガーデンコレクションという新しいモードがアンロックされます。そこでは一回プレイしたガーデンや、アンロックしたグリンプを自分で好きに組み合わせて、時間制限なしでプレイできるというモードなんです。アチーブメント要素もあるので、ゆっくりプレイしてほしいですね。
もうひとつは、途中からでも参加しやすい状況の追加です。これは自分のユーザーとしての感覚でもあるんですけど、アクションゲームでオートセーブのゲームだと、友達といっしょにプレイしようよってなったときに、一定のところまで進んじゃっていると友達は入ってこれなくなったりするじゃないですか。自分が進んだところに友達が入っても、「難しくてやれねえよ!」みたいな。
そこでガーデンコレクションにすると、友人が来ても自由に、一緒にガーデン、グリンプ、スパイス全部の組み合わせを選んで一緒に成長しあえて、時間を過ごしやすいところもあるんです。Switchなので友達と集まってマルチプレイを遊ぶシチュエーションも想定しています。
通常モードももちろんふたりでやれるんですけど、これらのいろんなプレイを選びやすいようにしたいのがありましたね。
音楽とアートを持ち込んだゲーム作りで、インディークリエイターと共振していた12年前
——本作の特徴でもあるアクションペインティングって、画家がおもいきりアクションする動きで絵を描いていくって面白さをゲームにしているみたいですよね。
Baiyon:そうですそうです。なんか高揚感があるじゃないですか。たとえば音楽でいうと、リズムを作っていっているときにスネアがイーブンで入った瞬間にテンションが上がってくる感じとか。ハイハットのディケイがちょっとづつオープンしていく感じの気持ちよさとか。
そういうのって、僕の中ではクリエイティブな何かというか、プリミティブで自分に響くものがあるんです。基本的に僕が関わっているものや作っているものって、いつも思うんですけど、自分で物を作っている人のほうが伝わりやすいって感じているんです。
——Baiyonさんのゲームは、クリエイター側の人のほうが伝わっているということでしょうか。
Baiyon:趣味とか仕事とかそう言う事は関係なく、自己表現として何かを作ったりしている人ということですね。今はパラダイムシフトが起きているから、PCを使って誰でも安価でいろんなことができるじゃないですか。音楽を作ったり、絵を描いたりとか。
簡単に言えば、僕がそば屋の主人だとすれば、僕のほうが蕎麦を食べに行った時に得られる情報量が多いじゃないですか。同じクリエイター側であれば、見えてきていないジャッジとか、例えば「なぜこういう風にデザインしたのか」みたいなものがちょっと見えてきたりするというのもあると思っています。
作品全体もありますが、ものを作ることの興奮みたいな、ふわっとした漠然としたものですけど、そういう感覚自体を共有していったら、自己表現する人がどんどん増えてもっと楽しくなるみたいなことになったらいいなと思っています。実際どんどんそういう世の中になってきていますよね。
やっぱりアクションペインティングというのは、自分のひとつの原点でもあります。『PixelJunk Eden』はアクションゲームだから、ゲームプレイしているうちに、たとえばブラシみたいに色が付いたり、単純に気持ちいいだろうなと思ってやってみたらけっこういい感じになってきたし、気持ちいいので推し進めていこうと思いました。
——先ほど「PCによって安価でいろんなことができる」話がありましたが、2020年のいま、近い環境によってインディーゲームクリエイターがたくさん登場しています。いまクリエイターがすごく増えている状況ともいえますが、そこで自作の受け取られ方についてどう考えていますか。
Baiyon:どうなんでしょう……。確かに僕がQ-Gamesとコラボレーションして『PixelJunk Eden』を作った頃には、僕自身はビデオゲームを作ったことがまったくなかったんです。
それこそAAAとかインディーゲームの違いもさっぱり理解していない状態だったんです。まったくわかっていないまま作って、『PixelJunk Eden』の制作が終わり、リリースされてしばらくしたある日Q-Gamesの当時の担当の方から「GDCって場所で講演をしてほしいという連絡がきたんですけど……」と言われ、「何ですかそれ?」と(笑)。
そこでサンフランシスコで毎年開催されているGDCを知り、参加しました。僕は音楽をやっているので、GDC周りで開催されているパーティで呼ばれてDJセットをプレイしたりして、遊んでいる中で当時の主要な人々と出会いました。『スキタイのムスメ:音響的冒剣劇』や『Below』の Capybara Gamesのみんなとか、いろんな人と友人になったんです。その縁で『スキタイのムスメ』の音楽のリミックスをやったりしました。
当時だと『Fez』もまだ出てないころですね。音楽家のDisasterpeaceなどもみんないて、『スキタイのムスメ』もまだ出ていなくて、Notchも『マインクラフト』をまだリリースしていなかったと思いますね……。
よくわからないままGDCに行ったんですけど、「こんなシーンがあったんだ」みたいに圧倒されました。僕は意識せずにやってきたので。IGF(※)のアワードの会場があるじゃないですか。
そこで『PixelJunk Eden』と僕の名前を呼んだ瞬間、すごい人数がいる会場がワーッと盛り上がって、「なんだこれ!?」となって(笑)。すごいなーと。あの熱気はちょっと日本では考えられないですね。
その時、日本のタイトルとしてはじめて3部門にノミネートされて、これはいままで破られていない記録なんです。GDCのチョイスアワードひとつと、IGFではアート、サウンド、技術で合計4部門のノミネートでした。
GDCに参加した事で「点が線に繋がった」というのが、インディーという言葉ではけっこう自分の中では大きいですね。
——インディーという言葉が広まる以前で、GDCに来たことでBaiyonさんのようにビデオゲーム作りをする人に初めて会った、というかたちでしょうか。
Baiyon:そうですね。PS3で『PixelJunk Eden』を出すので、他にどういうゲームがあるのかなと思ってPS3のストアを見たら、たしかthatgamecompanyが『flOw』を出してたあたりかな? 当時、彼らにもGDCで会って、「ああ、こういう人たちがいて面白いな。みんないろいろ面白い事やろうとしているな」みたいな(笑)。そこで楽しくなっちゃって、今に至るという感じがありますね。
——当時のthatgamecompanyもカピバラゲームスの皆さんも、明確なルールやメカニクスで楽しいゲームプレイを作るというより、これまでになかった情緒といったものをゲームプレイにしようとしていましたね。Baiyonさんとクリエイティブが近い人々に出会っているように感じられます。
Baiyon:やっぱり僕の中での意義じゃないですけど、ビデオゲームを作るならば別のカルチャーへのリスペクトを入れ込むというか、別のところにボールを投げるというのはすごく大事だと思っています。
初めてQ-Gamesのディランと会ったのは、グラフィックデザインをやっている友人の忘年会でした。それまでにお互いに存在は知っていたんですが喋ったことはなくて、いつか会えたらなと思っていたんですけど、そこにいたのでいきなり話をしたんです。「Baiyonです。僕、ゲームを作りたいんですけどどうでしょう?」みたいな感じで(笑)。
すぐには決まらなかったんですけど、『PixelJunk』シリーズの立ち上げのタイミングと被っていたのと、ディランが『PixelJunk』に多様性を持たせたい思惑とか、圧倒的に人と違うものを作りたいという思いがありました。そこに僕がうまくハマったという感じですね。
なので、出会いの段階から普通の作り方のプロセスは全然踏んでいない感じはしますね。
異分野としてビデオゲームに関わって
——普通の作り方のプロセスと違っているのも、Baiyonさんは純粋なゲームクリエイターというより、音楽やアートといった他分野からビデオゲームに来たことがあるからかもしれませんね。
Baiyon:基本的にはサウンドとアートで、当時から音楽レーベルを運営して作品を発表したり、アパレルで服を作ったり、いろんなことをやってました。僕自身がそうして関西で活動していたとき、ちょっとずつ東京でいろんなネットワークが出来ていたんですけど、どちらかというと海外のほうが多かったんです。
ずーっとそういう活動をして来たところで言うと、たとえば当時のスタジオボイス(※)で特集されるとか、そういうものってひとつのプロップスみたいなイメージはあったんですよ。
ある日、それが叶ったんですね。スタジオボイスのCDジャケット特集というものがあって、第一線のデザイナーの方たちと並んで僕も掲載してもらったんですね。そこでひとつ目標が達成出来たな、という思いはあったんです。だけど実は皮肉にもその時の特集タイトルが「ポスト=ジャケット・デザイン CD消滅前の最終ジャケット・大全!」というタイトルだったんです。
——あっ、もう物理的な形でのCDジャケットがなくなっていくのでは……という話ですか。
Baiyon:奇しくも僕が初めてスタジオボイスに載せていただいた特集が「CDの時代が終わる」って内容で、その時に「ああ、これからは新しい音楽、アートを同時に体験してもらえるパッケージ方法を考えなあかんな」と思ったんです。
そこで「ビデオゲームだ!」って思ったんです。闇雲にゲームだって思ったわけじゃなくて、もともとビデオゲームというのは、グラフィックやサウンドを作るインスピレーションとして、自分の近くに常に存在していたんです。
ビデオゲームの作り方はさっぱりわからなかったんですけど、「ゲームをやりたい!」という思いだけはすごくありました。そういう方向で向かっていった気がします。
さきほど話したように、インディーとか、Unityやアンリアルエンジンといったゲームエンジンの時代というのは結果として後でついてきたもので、実は自分と同じ志を持った人ってたくさんいるなあ、というのを後でわかったというか。
——Baiyonさんはビデオゲームに音楽やアートをゲームデザインに持ち込むとき、どのように考えていましたか。前例として参考にしたタイトルなど、もしあれば教えてください。
Baiyon:直接の影響があるかはわかりませんけど、やはり初代PS時代のゲームはめちゃめちゃでかいですね。今でもコレクションしていて、かなりタイトルを集めているんです。
専用Instagramを使って、実はあえて想像の余地を残す為にゲームディスクのみを紹介するGamedisc Beautyというコレクションのアカウントをやっているんですけど(笑)。それのほとんどはPS1のゲームですね。かなりニッチなタイトルばっかりですが結構反応も多くて、それを見てゲームを探して買ったりみんなしてくれているようです。
——初代プレイステーションですか! Game*Sparkでも当時の作品はヤバいタイトルが多かったっていう座談会をやっていましたよ。Baiyonさんの作品は、音楽とアートいう方向という意味で水口哲也さんと重なるところがあるんです。水口さんについてはいかがでしょうか。
Baiyon:水口さんの作品だと特に印象に残っているのは『Rez』ですね。僕、おじいちゃんに買ってもらったんですよ。
おじいちゃんもちょっとゲームする人で『みんなのゴルフ』をやったりしていたんです。ある日、買い物についていったとき、「なんかひとつ買ってええで」って言われて、そこで当時PS2は持っていたけど、ゲームをたくさん買っていた時期ではなくて、気になってたけどプレイ出来ていなかった『Rez』を買ってもらったんですね。
それで『Rez』をけっこうやっていました。ちょっと前にVRで出たじゃないですか。それをサンフランシスコの友人の家でやらせてもらったとき、もうめちゃめちゃゲームの内容を覚えていて、1時間半くらいで全部クリアしました。配置を全部覚えていたんですよ(笑)。
——すごいですね(笑)。
Baiyon:当時の『Rez』ではロボットの背面など、見えなかったものが見えたりして嬉しかったりとかありました。
実は『Rez』が気になっていたのは、もちろんゲーム自体もあるんですが、OVAL(※)が曲を提供しているとの事で、一体どういう体験なのだろうとずっと気になっていました。
なので、僕が『Rez』でいちばん印象深かったのってTrancemissionというスペシャルモードなんです。そこの音楽をOvalことマーカス・ポップが担当していたんです。
そのステージの曲もまさにこれぞOvalprocessだなって感じのサウンドで、CDの音飛びのグリッチ音を使ってカチャカチャカチャカチャって音がなっていたんですよ。チチチチチチって。「なんだこの世界観は」みたいなのはすごく面白かったなと今でも覚えています。彼の音楽体験そのものがゲームになった感じと言うか。
Ovalみたいなアーティストが、ゲームに参加していた事自体に影響を受けた所はあると思います。そういうノイズ的というか、作った痕跡を感じれる作品というか、はみ出ていくものに興味があるんです。
——『PixelJunk Eden 2』でも、Baiyonさんが追求したい「はみ出ていくもの」は追求されていますか。
Baiyon:上手く言いづらいんですけど、ポップになり切れないドロッとしたものというか、人間らしさというか。
楽曲に関しても、たとえばハサミを使ってこすったリズムを使って録っていたり、SEも氷をコップの水の中に入れて振った音を使っていたり、手触りを面白くしたいというか……(少し考えて込んで)……アート的な意味合いだけではなく、ずっと思っているんですけど、可視化されていない感覚を共有したいんですよね。
「今回こういう感覚?を見つけてきたから、こんなのどう?」とそういうふうにしたいと思っていますね。いつも。
——アクションペインティングや、ハサミの音をサンプリングするような音作りの要素など、Baiyonさんのアプローチは、どこかデジタルというよりアナログで、即興的な表現を大切にしている感じがありますね。
Baiyon:なにかその場で生まれるものというか。『PixelJunk Eden 2』では植物とは言っているんですけど、冷静に画面を見て「これって本当に植物か?」って言われたらどうなんだろうなと。
あれも墨汁で描いたもので、墨が垂れていく様を見た時に、絵をさかさまにしたら「植物が生えているように見えるなー」とかそんな感じなんですよ。
Baiyon氏が見る、いまのビデオゲームと音楽の関係
——音楽とビデオゲームを混ぜ合わせることに関して最近では『クリプト・オブ・ネクロダンサー』をはじめ、混ぜ合わせようとするゲームは増えていますよね。『ファイナルファンタジーXV』など、ゲーム中に動的に音楽が変化する、“インタラクティブミュージック”という試みも進歩しています。Baiyonさんは最近のそうした作品をどう感じていますか。
Baiyon:僕自身は、音の使い方や意味の方向にフォーカスが行くんです。先ほどお伝えした流れもあって、僕はGDCのIGFアワードのオーディオの審査員も何度か務めさせて頂いていて、インディーのゲームもかなりやっているんです。
色々ゲームをプレイする中で、インタラクティブなものはすごく面白いなあと思っているんですが、それがイコールでコンポーザーの作曲の自由にはならないだろうと思っているんですね。
——コンポーザーの自由というものが、一体何を指しているかもう少し詳しくうかがってもいいですか。
Baiyon:これはどっちがいいか悪いかじゃないという話を前提にするんですけど、たとえば僕がやっているようなテクノやハウスといった音楽だと、変化したかしていないかわからない状態が、10分や15分続くのがまあ当たり前じゃないですか。
そこでちょっとずつ、ちょっとずつ音楽が変わっていくんです。でもインタラクティブなオーディオって、当然変化させることを目的としてやっているので、やっぱりそういう変化って使いにくいんですよね。もっとわかりやすくしないと、音楽が変わったっていう情報がユーザーに伝わらないので、緩やかな変化のカーブというものが使いづらくなっているときがある、というのが自分にはあります。
なので、逆に言うと緩やかで、変化がないインタラクティブオーディオっておかしいじゃないですか。言葉として。
——確かに矛盾していますね。
Baiyon:じゃあ例えばそこでコンポーザーがあまり変化させたくない曲を作りたかったとき、不自由ってことになってしまうんですね。
なので、技術の進歩やインタラクティブ性が上がったからと言って、コンポーザー全員がより自由に音楽が作っていくというよりは、それぞれのスタイルが細分化されていくんだろうなと思います。
Baiyon氏が「ここ数年で一番ぶっ飛ばされた」ビデオゲーム
——音楽とアートで特別気になっているゲームはありますか?
Baiyon:デヴィッド・オライリーの『Everything』ですね。ちなみにPLAYISMさんによるパブリッシュの日本語の翻訳監修を少しお手伝いさせて頂いていて、デヴィットともちょこちょこ会ったりしています。
やっぱりデヴィッドの作品、ぼくはすごく好きなんですね。バカバカしさとシリアスのぎりぎりのところを攻めてくるところとか。オーディオに絞って言うと、ベン・ルーカス・ボイゼンがコンポーズをしていて、彼もゲーム業界の人ではないんです。だけどデヴィッドがビデオゲームという表現に引っ張ってきましたよね。
もうひとつ、オーディオ的な意味合いで言うと、これは音楽じゃないですけど、『Everything』でもっとも重要だと思っているのはアラン・ワッツ(※)のスピーチが入っていることです。
——作中で流れる、哲学の言葉ですよね。
Baiyon:ゲーム作りの際には、時間と制約がいつもあって、リスクを避ける傾向もあると思っています。だからエンターテインメントにおいて「本物」である、というのは必ずしも重要でないのかもしれないし、優先順位としては残念ながら高くないと思っています。
アラン・ワッツに関しても、許可を取るのは大変だし、選んだりすると時間がかかるから新しいそれっぽいスピーチを作っちゃえばいいという話になっちゃったりしそうな気がします。
でもデヴィットは、本物のスピーチを使うために数年間かけていました、アラン・ワッツの息子さんともお話していて、何百時間もスピーチの録音を聞き、本物を使うことに徹底的にこだわっていたんですよね。
それは僕にとってものすごくでかいことだった。ちょっと地味な部分の話だったかもしれないですけど、僕の中ではビデオゲームの可能性という意味では素晴らしいなあと思ったんですよ。本物を持ってくることが、いかに難しいかを知っているので。
アラン・ワッツのスピーチをゲームに載せるって一言で言うけど、その間にクリアしなけらばならなかったことってたくさんあると思うんですよ。
——哲学者のスピーチを使うこと自体も前例がないですし。
Baiyon:だからオーディオや、コンポーザーの音楽のコンテクストで、ビデオゲームをバンバン挑発していっている感じがあって。殴りつけるような感じとは違うんですけど、めちゃめちゃ境界線を押してくる感じがあるんですよ。ワーって。
すごく変な話ですけど、音楽も込みで疑似体験を作っているゲームだけど、ゲームプレイの中で疑似体験自体が本物になる感じがあるんです。ビデオゲームがビデオゲームで終わっちゃうことって多いんですけど、『Everything』ってゲームという装置を使ってリアルな体験をしているんです。
それは、本物のアラン・ワッツのスピーチを使っていることがかなり重要なポイントだと思っていて、そこがオーディオという概念だと、ここ数年で一番ぶっ飛ばされた感じですかね。
——さきほどBaiyonさんも「可視化されない感覚を大事にしたい」とおっしゃっていましたが、やはりビデオゲームを作る時も、『Everything』で見られたようなそうした感覚を突き詰めたいという思いは強いのでしょうか。
Baiyon:そうですね。あるシーンの音を作るとなったら、本当に自分が体験した音を使うとか、なるだけリアルに近いものをなんとか取り込めないかなと常に考えたりしています。
だから植物に関しても、紙の上で墨汁をジューっと滑らせたんですよね。そしてその墨汁が垂れていく動きをゲーム上で再現してるんですよね。それによって、プレイヤーにも墨汁を垂らす感覚の高揚感を追体験してもらえると思っています。
色が広がっていく興奮みたいなものは、あくまでもリアルの延長線上に加工されて残っているものだと思うから、体験をそういう意味でリアルにしたいと考えています。ビデオゲームが悪いというわけじゃないんですよ。すごく難しい境界線の話だと思うんですけど。
「ビデオゲームって、いろんな表現のノイズを受け入れる耐久力、あるっしょ」
——そろそろ最後の質問になるのですが、Baiyonさんが未来に向けて追求していきたいゲームデザインを教えてください。
Baiyon:……(少し考えこんで)少し難しいですね。こういうこと普段からかんがえてなきゃいけないんだろうな……(笑)。
——ちょっと難しい質問ですいません(笑)。インタビュー前の事前質問ではストーリーものを作りたいとありましたが、いかがですか。
Baiyon:それはまあ、単純に僕が日々思っている疑問みたいなものを人に共有したいという。変な話なんだけど、「マグロは、彼ら自身が人間に食べられておいしいと知っているのか?」とかそういうようなことなんですけど。
ちょっと真面目な話になっちゃいますけど、ドキュメンタリーで食肉加工とかを見ると、鳥とかブロイラーを題材にしたもので、動く事も無く、鳥が器具をつけられて、しばらく生かされた後、そのまま殺されて、食肉にされて出荷されるじゃないですか。
それを見ると「その鳥は自分自身がどういう生き物で、誰であるかをを知っているのかな?」って疑問が湧いてくるんです。生きたって概念を覚えたかどうかすらわからないじゃないですか。
——そのお話を聞くと、鳥やマグロの主観からしたら、自らの環境を自覚することなく流された末に食肉になってしまうこともBaiyonさんに語っていただいた、可視化されていないものに繋がるといいますか。
Baiyon:それでいうと、もし鳥が「自分は鳥だ」ってアイデンティティを得ていたとしてら、食肉としての味のクオリティってあがるんだろうかって考えてしまうんです。たとえば平飼いの卵とか、ちゃんと育てている鳥とかってちょっとおいしいですよね。
——いい環境で育てられた鳥のほうがやはりおいしいというのはありますね。
Baiyon:でしょ?すごく興味深いのが、当然、肉としておいしいわけなんですよ。アイデンティティを得ているわけだから、鳥が自分が何者であるか知っているから、鳥が鳥たらしめるわけですよね。イデアですからね。物質として解像度が高いってことなのかなと。
鳥が鳥たらしめるということを、彼ら自身が認識することで、鳥らしい味がよりよくなると思うんです。それを人間が食肉として高いとか安いとか、おいしいとかおいしくないとか値段をつけて価値をつけているのは、何かすごく不思議な世界観と価値観だなあと思ったりするんですよ。何かを否定するつもりで言っているのではなくて、僕が興味あるのは「アイデンティティや自己認識がどのレベルまで自分の肉体や存在に影響するか?」という話です。
そんな自分の思いを、ビデオゲームに乗せたいなと思ったりするんです。シリアスな部分だけじゃなく、答えがない問いかけというか……。
——なるほど。先ほどの『Everything』とも繋がるお話です。ビデオゲームだからこそできる、プレイヤーがどんなものにでもなれることにフォーカスした哲学的なゲームプレイになりそうですね。
Baiyon:もうひとつパっと思い出したんですけど、刀鍛冶っているじゃないですか。そのドキュメンタリーを観ていたんですね。
刀鍛冶の人たちって、ずーっと刀を作っていますよね。キンキンに尖らせてるじゃないですか。ああやって手入れをしているわけですよね。いつでも使えるように。
でも、刀を実際に使ったら犯罪なんですよね。もう極限に、刀の研ぎ澄ませた斬る機能を寸止めされているわけですよ。つまり、刀なんか現代に必要ないのだから、本当は作らなくていいわけですよね。今は。
だけどそんな刀を「美学だ」というのもわかるんです。だけど、観ていたドキュメンタリーで刀鍛冶の方が見学に来ていた子供に「なんでそんなの作っているの?」っていわれると、言葉に詰まるんです。
なおかつ、刀鍛冶の人も正直で「ぼくも何で作っているかもうわからないかも」といっていて、そこにはアンビバレンツな思いがあるんです。でも僕はそれが妙に人間らしいと思ったんです。刀は本来の目的を失ったけれど、そこに自分の思いを乗せていって、成熟していくって、人間ってそういうユニークさがあるなーと。
だからなにか問題提起したいとかではなくて、人のこだわりや美学の複雑さ、ユニークさをたたえたいというところですかね。
——なるほど、そこにビデオゲームのクリエイティブを向けるのもまた、可視化されていないものと感じますね。
Baiyon:そうですね。それプラス、ビジュアルでも可視化されていないものですよね。ものとものの間にある、隙間の気持ちよさとか、いわゆるお寺の庭とか。
音楽もそうですけど、いわゆる音と音の間の無音空間をグルーヴとして意識して作るので、ビデオゲームでも、隙間があって、見えていなかったリズムや揺らぎが見えるとか、そういう説明できない、普段見えていない、気づいていないものを組み合わせて「こんな感じ、どうですか?」みたいに、みなさんに届けられないかなあと考えています。
——わかりやすい普通のビデオゲームや音楽を作るのであれば、ボツにされてしまうような部分になにか可能性を見出しているようにうかがえます。
Baiyon:どちらかというと、切っていくよりどう残すかみたいな。料理に例えるなら、適切なお皿に乗せて盛りつけて、温度が冷めないままで、どうやったらこの感覚をフレッシュでいい状態のまま届ける事が出来るだろう?という感じです。
でもパッケージとしてきっちり作り上げないといけないので、そのバランスを日々すごく考えています。「ここをノイズとして残そう、でもここは機能的な部分を優先しなければならない」とかやっている感じありますね。
——わかりやすくするために切られてしまうノイズを、Baiyonさんは注目しているかたちでしょうか。
Baiyon:そうですね。ビデオゲーム好きなんですよ。変な言い方ですけど、ビデオゲームって(さまざまなノイズになりうる部分も表現として受け入れられる)耐久力、あるっしょと。僕は信じているから、ノイズを受け入れてくれよって。誰にお願いしてるかよくわからないですけど(笑)。ビデオゲームという存在に、ちょっとでも受け入れてもらいながらやりたいなあと思います。
今回のインタビューでは、『PixelJunk Eden 2』が前作以上にいろんなゲームプレイができることがわかったとともに、Baiyon氏があたりまえのビデオゲーム作りに囚われないクリエイティビティを持っていることがよくわかるものでした。
お話をうかがうなか、特に「可視化されていない感覚」という言葉はとても印象に残りました。もともとビデオゲーム業界出身ではなく、音楽出身のBaiyon氏だからこそ、通常のクリエイターが省いてしまうような部分をビデオゲームに導入できたのだと伝わります。『PixelJunk Eden 2』では、そんなBaiyon氏がビデオゲームに込めた「可視化されていない感覚」が溢れていることでしょう。
『PixelJunk Eden 2』は、ニンテンドースイッチ向けに1,500円(税込)で発売中。12月16日までは34%オフの990円(税込)で購入できます。