インタラクティブ・ムービーとしてホラーを見せ、先日もコレクター・エディションの発表が行われた『Dの食卓』。宇宙にて、目に見えない敵と戦うサバイバルホラー『エネミー・ゼロ』、そして音だけで恋愛を描くADV『風のリグレット』――日本のビデオゲーム業界が、 “次世代機”の未来技術に心躍らせ、ソニー、任天堂、そしてセガらがしのぎを削っていたもっとも熱い時代。“ゲームクリエイターの作家性”を誇示した異質なビデオゲームを遺した人物がいました。それが飯野賢治氏です。
2013年2月20日に、飯野氏が唐突にこの世を去ってから今年で10年という歳月が過ぎました。本日がちょうど10回目の命日ということで、この数年様々な形でコラボレーションしてきたArchipelとGame*Sparkが「飯野賢治とは何者だったのか」をテーマにした特別企画(映像&Game*Spark上での連載企画)の始動をお知らせいたします。
Archipelの映像作品と、Game*Sparkの連載には、飯野氏が生前に交流していた数多くのクリエイターが登場します。小島秀夫監督、飯田和敏氏、水口哲也氏、そして上田文人氏ら日本のビデオゲーム史に燦然と輝く功績を残し、今も活躍を続けるそうそうたるメンバーが集結。そして、ゲームクリエイターだけではなく、生前親交があった浅野忠信さんや電気グルーヴのピエール瀧さんなど日本を代表する俳優やアーティストの方々も特別企画への参加を快諾していただき、貴重な取材を重ねることができました。
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それだけではなく、彼に近しい人物からもお話を伺っています。その中には飯野賢治氏の妻である、飯野由香さんのお話も登場します。古くからのゲーマーであれば確実に記憶にあるだろう90年代のエピソードはもちろん、目立った活動がわからなくなった2000年代以降、そして現代までの時代の流れを「飯野賢治」という稀代のクリエイターの生き様を通じて、あらためて振り返ることのできる映像と連載になるでしょう。
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現在、Archipelが本編映像の完成に向けて鋭意編集を続けており、同時並行するGame*Sparkの連載では、個々のクリエイターが持つ飯野氏の思い出や考えをまとめたインタビューを公開していきます。単に映像のためのインタビューを記事化するだけでなく、追加取材も重ねながら読み物としての面白さを追求し、映像公開をより期待させる公開までの盛り上げ企画として展開予定です。
飯野氏の人生から、実は日本のビデオゲームで“作家性”が盛り上がってきた歴史が見えるかもしれない(ライター・葛西祝)
「飯野賢治とは何者だったのか?」
これは今回の企画でチームのみんなが考えていることではなく、飯野氏が存命時からしばしば言われてきたことです。今回筆者がGame*SparkとArchipelからお話をいただき、最初に思ったのは「今こそ飯野氏が歴史的に何者だったのか明らかにしたい」ということでした。
突然の夭折から10年、いまだに飯野氏の実像は捉えきれていないのではないか――。
飯野氏の肩書きはもちろんゲームクリエイターということになるでしょう。しかし、彼が全盛期を迎えた90年代はそれ以上の存在としてメディアに登場していました。長髪と黒いスーツに身を包んだ、インパクトあるビジュアルのテレビタレント。あるいはラジオパーソナリティ。さらにゲーム専門学校の講師としての顔さえありました。
その多様さは、「何者だったのか?」と感じるのに十分でした。実像が曖昧であるほど、部外者は先入観を無限に押し付けることができるものです。
「ソニーのような大会社を相手に、自らの意思を貫いたクリエイターだ」と評価もあるかもしれません。「音だけのゲームみたいな奇作を連発した謎の人。作ったゲームと本人のキャラクター評価が釣り合わないのでは」という感想もあるでしょう。「ベンチャー企業のようにプロデューサーとクリエイター精神を融合させ、ゲームに関わった人物」というのも否定しません。
今回の連載は、そんなゲーマーの持つイメージを一度、小島秀夫監督や飯田和敏氏ら関係者の言葉から、一度考え直すことに他なりません。
「飯野賢治とは何者だったのか?」その謎を当事者たちの声を伺っているうちに、ある一つの考えが浮かびました。もしかしたら飯野氏の実像とともに、日本のビデオゲームにおける “作家性”の歴史も紡げるのではないか。なにせお話を聞いた人々が、ゲームの歴史として特に “作家性”が高いクリエイターなのだから。そして飯野氏が「何者だったのか?」と感じるのも、なにより彼の “作家性”の評価が今もって固まっていないように思えるから。
この企画は、飯野氏の実像、あるいは彼の作家性って何だったのかを追うとともに、日本のゲームにおける作家性とはどのように立ち上がってきたのか、というもうひとつのテーマも追ったものを予定しております。
――ジャンル複合ライティング 葛西祝
10年前からどうしても飯野賢治の企画をやりたかった(編集より)
ぼくはゲームメディアの関係者の中でも特別に飯野賢治への思い入れがあるわけでもなく、彼が遺した作品を何十時間も語れるほどの知識も情熱もなく、なんとなくスゴいクリエイターだ、変わったゲームを手掛けてきた人だと一ゲーマーとして遠くから眺めてきました。本当に普通のゲーマーと全く変わらない距離にいると思っています。
これは由香さんへの私信でも記したことですが、それでもこの10年、一人のクリエイターをフィーチャーするのであれば絶対に飯野賢治の企画がやりたかった。恐らくですが、多分この想いだけは誰にも負けないと思います。正直うまく言語化できる理由は持ち合わせていないのですが、きっかけは明確で、逝去後に開催されたCEDEC 2013で飯野賢治氏にゲームデザイン部門の最優秀賞が贈られた時のことです。
プレゼンターだった遠藤雅伸氏が感極まっていた様子や、由香さんのコメント、一緒に登壇していたお子さんの様子など、会場の雰囲気も含めてとても強く心に残る出来事でした。そしてその時からずっと、いつか飯野賢治が何者だったのか、赤の他人ながら調べてみたい、まとめてみたいと思っており、10回目の命日というタイミングでこうして形にできつつあることをお知らせできるのは万感の思いです。
Archipelという心強いパートナーも得て、当時のゲーム業界を共に作り上げたクリエイターにも話を聞けるようになり、何よりこの10年でここまでまとまった飯野賢治に関するテキストや映像は世になかったこともあって、当初の予定よりも遥かに膨大な取材や資料の収集などを重ねて、大がかりな企画に育てることができました。完成まではもう少し時間をいただきますが、協力いただいた全関係者とインタビュイーのみなさんに厚く御礼を申し上げます。
なんとなくの自分の直感は正しかったのだろうと思うほど、濃密な取材ができており、あとは映像とテキストを世に出して皆さんの反応を待ちたいと思います。飯野賢治とは何者だったのか、彼が遺したものはなんだったのか……未来・過去・今が繋がる内容に仕上げられるよう、完成まで走り抜けたいと思います。
――Game*Spark 宮崎 紘輔
映像編集と足並みを揃えるため、Game*Spark上での連載開始までもうしばらくお時間いただきますが、その内容にはこれまでにないほどの手応えをチーム一同感じていますので、ぜひ今後の展開にご期待ください!
※ UPDATE(2023/02/21 19:36):本文の一部に誤りがありましたので修正しました。