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2013年とは日本のインディーゲームシーンにとって記録的な年だったと言えるでしょう。ひとつは京都にて大型のインディーイベントBitSummitが初開催されたこと。以降、毎年開催され、昨年でついに10年を越えました。
もうひとつは飯野賢治氏(以下、賢治氏)の逝去です。あまりに唐突な訃報に触れ、業界内に止まらず多くの人々が彼について考え直しましたが、その中で興味深いのは英語圏の反応でした。当時、Blizzardのシニアプロデューサーを務めていたアンドリュー・ヴェスタル氏は自身のTwitterにて「飯野賢治は、インディーができるということを誰も知らなかった時代にインディーだった」と書き残しています。
そう、視点を変えれば飯野賢治とは90年代、彼の興したWARPの時代からインディーゲームをやっていたとも観られていた人物なのです。
賢治氏の没後から10年。ひとつの区切りとなった年に、BitSummit Let’s Go!!にて、あらためて彼を振り返るトークイベントが開催されました。賢治氏の妻・由香氏と、賢治氏と共に仕事をしてきたライブアライフの山田秀人氏が登壇し、彼の功績を語りつくしています。
賢治氏とゆかりのある人々が振り返る
トークイベントの開催前には『Dの食卓2』(以下D2)の楽曲「Rhythm Sketch #1」が流れていました。賢治氏が自ら作曲した音楽のひとつです。
今回のトークイベントにはBitSummitの主催者のひとりであり、生前に賢治氏と交流があったジェイムス・ミルキー氏も登壇。そうした縁もあってか、BitSummitは初開催の時に賢治氏の歴史的な実績を、現在のインディーゲームシーンに繋げるアプローチを取っていました。ただ残念ながら、BitSummitの開催は賢治氏が亡くなられたあとであり、彼の実績を追悼するための、トリビュート映像というかたちに収まっています。
その後もBitSummitでは定期的に賢治氏にまつわるトークイベントを開催してきました。今回のトークイベントでは、由香氏と山田氏があらためて賢治氏のクリエイティブと音楽との関係について言及しています。
賢治氏はゲームのディレクションやプロデュースを行うだけではなく、音楽も自ら手掛けてきましたが、彼の音楽への思いは普通とは違うものでした。自身の著書やインタビューでよく言及されており、ミルキー氏も過去のインタビューで「彼の才能の中で私が一番評価しているのは、音楽的才能の部分だと思います」と語るほどです。
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今年、賢治氏が設立したフロムイエロートゥオレンジ(以下、fyto)はWARP時代のタイトルの音楽99曲を各音楽サブスクリプションサービスで展開しています。現在、fytoは由香氏が代表を引き継いでおり、今回の動きは彼女の判断で進められているものです。Game*Sparkではその意図について先日メールインタビューした記事を公開しています。
「どれも素敵な曲。一生懸命作っていたんだな」と由香氏は振り返ります。山田氏は「さきほど開演前に流れていた『D2』の曲は、当時流行っていたドラムンベースを飯野さんなりに解釈したトラックです」と、曲の背景を評してくれました。
「あの曲が流れると、飯野さんが登場してきそうな気がします」山田氏はそんな風にも語っています。山田氏はfytoに在籍していたころ、賢治氏と長く過ごしており、彼の音楽の趣味についてもよく知っていました。とりわけYMOやアンダーワールドを愛していたのだと言います。
「飯野さんにとって、音楽とは表現をするための身体の一部のような、そんな位置づけだったのかなあと思います。(賢治氏の周りでは)常に音楽が鳴っている印象が、いまも思い出として残っています」山田氏はそう回顧しました。
賢治氏とはじめて会い、仲良くなった時も音楽がきっかけだったといいます。「飯野さんの会社にジョインする前は、夜な夜な飯野さんのところに通ってお互いが好きな音楽を持ち込んで、DJのようにかけあっていました」
賢治氏とともに、様々な事業にチャレンジしていた山田氏はfytoでの事業についても振り返りました。ちょうどインターネットが出てきた時期に同社をスタートさせ、「ゲームで培ったことをインターネットに持ち込もう」というコンセプトで立ち上げられた企業だということです。
世界観をイメージした音楽制作
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「飯野さんはなにをやるにしても、まず世界観を頭に思い描いてから創作を始めていたように思っています」山田氏は賢治氏とのクリエイティブ活動をそう振り返りました。
「ゲームもまず、 “ゲームを作ろう”というところではなくて、自分がまずどんな世界観を自分が作るのかイメージして、それを音楽に例えてものづくりを始めていたような思い出があります」
そうした賢治氏のクリエイティブの例として、『リアルサウンド 風のリグレット』(以下、風のリグレット)が挙がりました。会場では同作のメインテーマが流され、山田氏は魅力を具体的に説明していきます。
『風のリグレット』の音楽を担当したのは鈴木慶一氏です。バンド・ムーンライダーズのメンバーであり、映画音楽では北野武監督の「アウトレイジ」などを担当するなど多様な音楽活動をしてきた人物です。なかでもゲーム音楽の仕事では『MOTHER』シリーズがもっとも有名でしょう。『風のリグレット』の音楽収録はビートルズの「アビイ・ロード」やピンク・フロイドの「狂気」を収録したことでも知られるアビー・ロード・スタジオで行われたとのこと。このディレクションも賢治氏ならではのこだわりの一端が垣間見えます。
本作で鈴木氏のほか、声優に菅野美穂さんや篠原涼子さんといった有名女優も参加していました。当時としても今から振り返っても豪華なメンバーが集結したわけですが、賢治氏がひとりひとりを説得して実現したのだといいます。
そんな『風のリグレット』について、山田氏は「ゲームの枠を越えていて、世界観や体験が非常に丁寧に作られています。ゲームを体験した人たちが語り継いでいるような……そんなゲームなんですね」と評しています。
ちなみに由香氏は『風のリグレット』開発の後日談として、ちょっと笑ってしまうエピソードも披露。賢治氏が本作を開発したあと、出演者やスタッフをねぎらうためにプロの板前を呼んで打ち上げをしたとき、菅野美穂さんが由香氏を見て「あれが飯野さんの奥さん!? えーっ! すっごく綺麗!」と言ったのだそう。由香氏は「つまり私は大女優さんに綺麗って言われた人なんですよ! 私の人生の中で一番の自慢なんですよ! ……会場が静まり返っていますけど」と振り返っていました。
「飯野さんの作品は、実は音楽を聴いてからゲームを始めるとすごく深く楽しめる。そんな作品性があると思います」そう山田氏は語り、いま賢治氏の制作したタイトルを遊ぶときのポイントも挙げました。今回、公式にサブスクリプションで展開された楽曲を聴いてから、『D2』や『風のリグレット』に触れることもおすすめしていました。
トークイベントの最後には、賢治氏の著作2冊が電子書籍化されたことにも触れられました。1冊目は「ゲーム―Super 27years Life」。激動の90年代のゲーム業界を駆け抜けた自伝です。2冊目は「息子へ。」こちらはゲーム業界から離れた後の著作。2011年に発生した東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故を見た賢治氏が、自身の息子へ向け、これからの社会について考えてほしいと語ったブログ記事を元にした書籍です。
今後の飯野賢治の実像を探る試みについて
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Game*Sparkでは今後、飯野由香氏、そして山田秀人氏をはじめ賢治氏と関わりを持ったクリエイターたちのインタビュー掲載を予定。「飯野賢治とは何者だったのか? そしてゲームの作家性とは何なのか?」そうした古くからの疑問を瓦解させるような内容となります。
その第1弾として、次回は高い評価を得ている映画「怪物」、「花束みたいな恋をした」の脚本家、坂元裕二氏のインタビュー掲載を予定。坂元氏はかつて賢治氏と共に、『エネミーゼロ』のセリフや『風のリグレット』のシナリオを担当した経歴を持ちます。彼のインタビューからは、これまでの賢治氏の印象と同時に、坂元氏の印象すらも覆す内容が語られました。お楽しみに。