2019年4月15日、パリのノートルダム大聖堂は火災によって大きな損傷を受けました。どこからでも見える高い尖塔が焼け落ちて、パリ市民の心の拠り所が失われたと言っても過言ではありません。元々改修工事を行っていた箇所から出火し、その原因は未だにはっきりせず。建築物だけでなく、絵画など所蔵していた文化財にも被害が及んでいます。
現在も急ピッチで修復が進められており、予定では2024年のパリ五輪までには一般公開を目指すとしていますが、それまでは足場とシートに包まれた姿を遠巻きに見守るしかできません。
2014年の『アサシン クリード ユニティ』では火災前のノートルダム聖堂をリサーチしており、多少のデフォルメはあるものの建築物のバーチャル見学が可能です。最近とあるルートから注目されているアニメ映画「ノートルダムの鐘」で登場した場所も、バーチャルだからこそ立ち入ることができます。今は失われてしまった尖塔を、『ユニティ』の中に残る記憶の中で見学してみましょう。
いざ、ノートルダムへ
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「Notredame」とは「私たちの婦人」、つまり聖母マリアを意味し、平たく言えば「聖母マリア聖堂」というところです(ちなみに「Madame」は「私の婦人」)。そのため「ノートルダム」の名が付いた教会や聖堂はフランス国内とその周辺で複数存在します。それらと区別するため、パリのものは「ノートルダム・ド・パリ(Notredame de Paris)」と呼ばれることもあります。
ノートルダム聖堂の工期は1163年から1345年の約200年間で、ちょうど重厚なロマネスクから壮麗なゴシックへと建築様式が移り変わる時期でした。その中でもノートルダム聖堂はゴシック建築の先駆けとなり、同様式の傑作として後世に影響を与えました。
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ノートルダム聖堂の目立った特徴は、正面に大きく取った「バラ窓」です。ゴシック建築は構造上の大きな変革があり、それまで壁面全体で荷重を支えていたのが、尖頭アーチの柱だけで支えられる設計に変わりました。大まかに例えるなら、箱を作るのに板を使うか、それとも割り箸の骨組みで作るか、くらいの違いです。回りが何やら騒がしいですが、とりあえず中に入ってみましょう。
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ここは聖域だぞ…?
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聖域で何をやってるんですかそこのあなた方。それはさておき、荷重がかからない部分を抜いて採光のガラスをはめることで、ゴシック建築は屋内の光量を劇的に増やすことに成功しました。それまでのロマネスクは、屋内だと日中でも蝋燭がいるような暗さだったので、高い天井から光が降り注ぐ礼拝堂は当時の人々には天井の美を感じさせたに違いありません。
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大きな礼拝堂に必ずある巨大な香炉は、長旅をしてきた巡礼者が密集するとなかなかの空間になるため、清めという名の消臭に使います。
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フランス革命は旧権力の一翼を担う宗教も攻撃対象にし、装飾の破壊、政治集会の開催などを行いました。その後の混乱でほとんど放置されていましたが、ヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」によって注目が集まったことも後押しし、約50年経った頃にようやく本腰を入れて修復の計画が立ち上がります。
現在に残る姿はこのの修復で大きく変えられたもので、この時に加えられたのが有名な鐘楼に飾ってあるガーゴイル像です。それを観に礼拝堂の上へ登りましょう。
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螺旋階段を出て、カジモドが広場を見下ろしていた場所へ。ここから鐘楼に登ります。
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ガーゴイル像はバルコニーの手すりにありました。実際は一つずつ違ったポーズをしていていますが、本作では都合上頬杖タイプに統一してありました。L‘Arc-en-Cielの名盤「REAL」で写っている景色は、正面右角部分の通路から、パンテオンが見える南側へ向くと再現できます。
実は、「ガーゴイル」とは元々は翼のある石像を指すものではありません。「ノートルダムの鐘」で最後にフロローが落下したあの雨樋のことです。
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日本で言うところの鬼瓦のような役割で、雨樋を怪物風にして魔除けの意味を持たせました。そのため雨樋の機能がない石像は厳密にはガーゴイルとは呼べず、あれらは「シメール(グロテスク)」と言います。
本来であれば『ユニティ』のフランス革命期にシメール像があってはいけないのですが、パリに本社があるユービーアイソフトは当然承知でしょう。せっかくこの像を目当てで登ったのに置いてなかったら残念ですからね。
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尖塔を含む屋根は主に木材でできており、2019年の火災で激しく燃えたのはこの部分です。焼け落ちた屋根が礼拝堂の上部を突き破って落下、大きな穴が開いてしまいました。
再建では現代の工法は最小限に抑え、木材と石材による建築当初の技法で行います。中世の建築技術を継承する「国境なき大工団」に依頼し、手斧と鋸を使った製材の様子を公開してチャリティイベントも開催しました。
崩落という大惨事ではありますが、これまで立ち入りが難しかった場所の調査ができる絶好の機会でもあり、ノートルダム大聖堂が比較的早くに鉄材を使った建築であることが判明しました。煤を被ったステンドグラスや美術品は一旦避難させ、美術工房で入念なクリーニングを施しています。
先日、再建が進む尖塔の頂上に、新たにデザインされた黄金の風見鶏が設置されました。失われたものは戻らなくても、また新たに建て直してさらに次の世代に繋ぐ土台とする。千年の時を刻む聖堂はそうして受け継がれていくのです。
パリ五輪の開会式では選手入場を船舶クルーズで行います。そのコース上にはもちろんシテ島とノートルダム大聖堂も。その頃には、リフレッシュした姿が見られると良いですね。