
『Rise of the Ronin』の町並みでよく見かけるのは、あちこちに設けられた出店です。江戸はとにかく屋台が豊富で、一時期は増えすぎて幕府が数を制限するほど外食が盛んでした。江戸の人口の多くは地方から出てきた単身男性が多く、労働の後にささっと済ませられる外食は便利です。また、火災によって家を失うことも度々あったので、簡易に商いを始められるという点でも重要でした。

時代劇でよく見る「棒手振り」や、持ち運べるそばやうどんの「担ぎ屋台」で、江戸のどこにいても少し歩けば食べる場所は見つけられたでしょう。人気のために設けられた空き地や大通りには、今のキッチンカーのように店が集まって、江戸はまさに庶民のためのファストフードシティだったのです。


魚
江戸前と言えば新鮮な魚のイメージがありますが、江戸の誰もが刺身で食べられるような魚に手が出せたのではありません。人口増加に伴って関東一円の魚が魚河岸などの市場に集められ、漁から丸一日経った魚も多く取引されていました。
品質の良い魚は数が限られており、「女房を質に入れても食べたい」とも言う初鰹となれば喧嘩上等の争奪戦が繰り広げられたとか。マグロももちろん人気でしたが、冷蔵技術が無い時代は脂身は捨てられ、トロの部位は「ねこまたぎ」、つまりネコさえも食べないものと呼ばれました。

寿司
お馴染みの新鮮な魚で作る「握り寿司」の歴史は意外に浅く、1800年代に入ってからのことです。原型は長期間発酵させて作る熟れ鮨で、塩漬けの魚に米を合わせて完成までに数ヶ月から1年ほどかかります。乳酸発酵による酸味とうまみが付いた魚は酒の肴にはもってこいです。保存食として重宝され、なんでも60年ものを食べられる店があるとか…。
ですができるのに時間がかかるので、室町時代には1ヶ月くらいで食べる「生熟れ鮨」が生まれました。生熟れ鮨は鮎寿司などでその形を残しています。それでも足りずもっと早く食べたいとせっかちな江戸っ子が作ったのが、生魚に直接酢で酸味を漬ける「早ずし」です。酢飯に魚をのせて詰める、いわゆる押し寿司の形です。しかし、当時の酢は日本酒と似た製法の米酢で、価格は高く贅沢に使えるものではありません。
そこで、もっと安く作れる酢はできないかと考え出されたのが、酒粕から作る「粕酢」でした。値段も安く甘みを持つ粕酢は酢飯にぴったりで、この革新によって現代に通じるにぎり寿司の形が完成しました。そして、粕酢の製法を編み出した中野又左衛門こそ、現代まで続くミツカンの創業者その人なのです。

天ぷら
油を使った「揚げ」の調理法は奈良時代には伝わっていて、平安時代の描写でも揚げ菓子である「唐菓子」がよく登場しますね。戦国時代までは主に中国とつながりがある寺で食べられていて、そこに欧州のフリット系製法が伝来したので、後者を中国系と区別してポルトガル語に由来する「天ぷら」と呼ぶようになりました。
徳川家康が天ぷらを食べたという逸話は有名ですが、揚げ物ではあったものの天ぷらではなく素揚げであるという見方が有力です。ちなみに唐揚げは本来「空揚げ」であるとされ、放送や出版、食品表示においては「から揚げ」が基準になっているそうです。
天ぷらが今の形で広まったのは江戸中期頃。西日本では魚のすり身の揚げ物、関東で言う「さつま揚げ」を天ぷらと呼んでおり、伝来からどのような経緯をたどったかは諸説有ります。大衆に揚げの調理法が広まるのは生産量が増える江戸時代で、このとき最も食べられてきたのが豆腐の素揚げ、いわゆる「油揚げ」です。今も豆腐揚げとは言わないのがその人気を示していますね。
それと同様に天ぷらも広まりますが、江戸城内で小火騒ぎが起こったことから揚げ物調理は禁止、それに伴って江戸全体で屋内での揚げ物提供は一度禁止になります。そうして天ぷらは屋台料理として定着しました。
具材は主に小魚や貝、エビなどの魚介類で、ゲーム内で確認できるように具材を串に刺し、現在の串カツに屋台時代の名残を見ることができます。店構えを持った高級店になったのは江戸後期から幕末にかけてです。

うなぎ
うなぎの旬は「冬」です。土用の丑の日の夏ではありません。もともと売り上げが落ち込む時期のキャンペーンとして、一説には平賀源内が考案したと言われています。夏バテに効くという話は奈良時代にはあったのですが(大伴家持)、食べ物が豊富な今なら他のもので代用できます。レッドリストに載る絶滅危惧種を守るためにも、土用の丑のうなぎはは見直していくべきでしょう。
劇中では勝海舟から何度かうなぎの店に誘われていますが、浅草の「やっこ」、浦賀の「梅本」、埼玉の「女郎うなぎ福助」と、今も残る店にその名前が伝わっています。あのとき食べそびれたうなぎを味わいに、いつか訪れてみたいものですね。

どじょう
川と湿地が多い江戸ではどじょうは最も一般的な魚で、こちらの旬はうなぎの反対で夏。ごぼうと煮て卵でとじる柳川鍋は庶民の味として時代劇にもよく登場します。
甘酒
最近では飲む点滴などと評して栄養価が注目されている甘酒。夏に冷やして飲むようになったのは文化年間で、生姜汁を効かせるのがポイントです。生姜で血行が良くなると汗が出やすくなり、体温を下げる効果があります。

アボカドトマトツナサラダ
居酒屋で見つけた見た目にも鮮やかなサラダ。ボイルドエッグの黄色と紫タマネギが彩りを添えています。…え、なんです?たいむぱらどくすって名前の西洋料理ですか?

勝海舟は下町グルメ、特に甘いものを楽しんでいたようで、閉業を考えていた最中屋に書を贈って励ました、などのエピソードが残っています。勝海舟が戦火から守りたかったのは、そうした人々の暮らしと情緒だったに違いありません。