『ロマンシング サガ2』は数あるゲームの中でも珍しい、主人公が歴代皇帝として次々入れ替わるユニークなシステムを採っています。物語は一人の英雄の一代記ではなく、一千年の時を超えて「継承」される想いが紡ぐ大叙事詩。命と引き換えに見切った技を次代に託す体験は、他のゲームでもなかなかお目にかかれないでしょう。
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そもそも「皇帝」とはどのような立場の人間なのでしょうか。地域や時代によって地位や役割は異なりますが、大まかには複数の国家民族を支配する権力を持つもの、つまり「王」よりも立場が上の存在に当たります。カンバーランドの王がいきなり主人公に「皇帝陛下」とへりくだるのでよく分かりますね。漢字で書く「皇帝」の称号は秦の始皇帝が最初に用い、世界史で「Emperor」の訳語として使っていますが、今回は欧州の皇帝についてフォーカスします。
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欧州で「皇帝」の起源となったのは、他でもないガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)です。彼自身の「カエサル」もまた、皇帝を表す称号としてドイツやロシアに言葉を残しています。ローマは建国時はロムルスに連なる王政でしたが、5代目にはエトルリア人が王位に就き、7代目に追放されて共和制に移行します。共和制では民会、執政官、元老院と権力を分散させていましたが、例外として戦時などの非常事態においては、強力な権限を有する「独裁官」を選出する仕組みがありました。帝政に至る権力を持つために、これをカエサルは利用したのです。
カエサルは派閥対立で政変が続く共和制末期の中で権力を握り、ポンペイウス、クラッススと共に三頭政治を行っていました。しかしクラッススの死後に元老院、ポンペイウスと対立、ガリア戦争に用いた武力を用いてローマに帰還すると、政敵を排除して唯一の権力者の座に納まりました。民衆の支持を背景に一旦廃れていた独裁官に就くと、任期を10年に延長し、ついには終身独裁官に就任します。軍事力、政治力、民衆の支持、全てを一人の手に掌握した強大な最高権力、これを後継者として受け継いだアウグストゥスが初代ローマ皇帝として君臨するのです。以降、欧州で皇帝を名乗ることはカエサルの後継という意味を多分に含みます。
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正当性でなく実力でのし上がった皇帝が皇帝としてあり続けるには、手にしている武力と政治力を、領土の隅々まで行き渡らせることができると示し続けなければなりません。少なくとも建前として元老院からの承認が必要なので、その力に値しないと見做されれば、あっという間に追い落とされるからです。それでなくても、権力を独占していればそれを快く思わないものも多く、文化の違う民族を統治すれば反発の声は避けられません。
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対外戦争で華々しい勝利を飾る、喝采を浴びる大改革を断行する、それがかえって世を乱す火種になることもしばしばです。アウグストゥスのすぐ後にはカリギュラやネロが現れ、五賢帝の時代で安定したかと思えば、軍事力を後ろ盾にした僭称皇帝が乱立する「軍人皇帝」の時代が長く続きます。
ディオクレティアヌス帝によって権力の分散が行われるまで、50年で約70人ほどの「皇帝」が現れ、そのうち元老院の承認を得たのは26人だけ。内乱を収めるために権力を集中すれば、強権に反発して内乱が起き、その内乱の中で再び強力なリーダーシップが求められる。後にナポレオンが皇帝に就任するときも、革命後の内乱で軍政を掌握し、民衆からの支持を得ていました。遠い昔の遙か彼方の銀河系の帝国も、ローマと同じく非常時に強力な権限を得ることから始まりました。現代史でも何故独裁者が生まれるのか、その先例をローマの皇帝に学ぶことができるでしょう。
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帝国が版図を広げるに当たって、皇帝の意志を行き渡らせるために必要なのが「言語の統一」です。属州には中央から総督が派遣され、状況の把握や命令系統の確立には中央と違う言語を介すと都合が悪いのです。欧州のラテン語を起源とする各言語や、南米でスペイン語、アフリカでフランス語が共通言語になっているのはその名残ですね。
民族それぞれの言語と文化を衰退させる一方で、広範囲を旅行するときに一つの言葉さえ覚えておけば良い。言語一つ覚えれば他の地域のどこでも仕事ができる。以前紹介したチェコスロバキアの独立やウクライナの言語問題など、現在にも直接続く問題であるだけに、帝国の功罪両面を知る必要があります。
歴史上最大の支配版図を形成していたのは、大航海時代から拡大を続けた大英帝国です。カナダ、オーストラリアなど世界各地の植民地、インドなど支配下に置いた各国に英国政府直属の総督が配置され、各元首はその下に置かれていました。第1次大戦後のウェストミンスター憲章(1931年)によって完全な自治権が与えられました。その上で、現在も国王をイングランドと同一とする一部の国では、名誉職としての総督(Governor-General)を今も残していて、英国政府ではなく英国王室の代理人として職務に当たります。
帝国というと近代以前の遠い存在のように思ってしまいますが、現代に生きる私達は、古代より興亡してきた数々の帝国の置き土産の中で暮らしているのです。それをどのように継承していくのか、あるいは捨て去るべきなのか、荒れ狂う情勢の中でしっかりと見極めていくことが大切です。
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