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今の世代にとって三国志の入り口は、やはり現コーエーテクモゲームズの『三國無双』と『三國志』。時代を超えたエンターテインメントとして今もなお語り継がれる物語ですが、その起源は歴史書として書かれた陳寿「三国志」。中国で正史として扱われる二十四史の一つに選ばれていて、学ぶべき古籍としての一面も持ち合わせています。これに後世の英雄エピソードを織り交ぜて大河ドラマ的な作品に仕立てたのがフィクションの「三國志演義(三國演義)」で、『真・三國無双』は「演義」の物語をベースにしています。こちらも誰もが知っている古典作品です。
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古典作品や教養になると、諸葛亮の「三顧の礼」「水魚の交わり」や呂蒙の「呉下の阿蒙」「士別三日即更刮目相待」など、特に三国志好きで無くとも故事として日常の様々な場面でたとえ話に使われます。史実でも「演義」でも濃いエピソードが盛りだくさんなので、中国語を学んでいくと自然と使うようになっていくでしょう。
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話説天下大勢 分久必合 合久必分
紫鸞に語りかける「白鸞」が時々口にした「久しく分かれれば必ず合し、久しく合すれば必ず分かれる」は、まさに原点である「三國志演義」の第一回冒頭からの引用です。
話說天下大勢,分久必合,合久必分。周末七國分爭,併入於秦。
及秦滅之後,楚、漢分爭,又併入於漢。
漢朝自高祖斬白蛇而起義,一統天下。後來光武中興,傳至獻帝,遂分為三國。
(第一回 宴桃園豪傑三結義 斬黃巾英雄首立功)
「三國志演義」は千年後の明代に書かれた物語で、春秋戦国七雄から秦の統一と滅亡、楚と漢の分裂、後漢の光武帝、献帝(三国時代の帝)ときて三國鼎立に至る、と文が続きます。中華統一と分裂は常に繰り返す、というイントロです。
そのためこの言葉を語る時点で三國の興亡は既に過去であり、登場人物が語るのは一種のメタフィクション的な仕掛け。この「白鸞」は一体どのような立ち位置なのか、原文を知っていると見え方が大きく変わってくるでしょう。
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髀肉之嘆
官渡の戦いから落ち延びた劉備達は、劉表の下にしばらく身を寄せることになったものの、新野の駐留軍として過ごす数年間は大きな戦に巻き込まれることはありませんでした。大志のために駆けずり回っていた情熱も弱まり、気がつけば太って贅肉が付いてしまった劉備。曹操が着々と勢力を強めているのに自分はこんなところで何をやっているんだ、と嘆いたことから、本来やりたいことや得意なことをやれずにいる状況を指す言葉です。『真・三國無双 ORIGINS』でも同名のイベントシーンがありますが、関羽と張飛が間接的に不満を漏らすことで表現していました。
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白波(白浪)
第二章では黄巾残党の討伐依頼が出てきますが、白波山に拠点を構える一団が「白波(はくは)」と呼ばれている場面があります。ここから転じて、盗人のことを白波と言い換えるようになりました。日本にも伝来して歌舞伎などでは「白浪(しらなみ)」といい、特撮戦隊のイメージ元になった「白浪五人男」は有名です。
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説曹操曹操就到
バラバラになった孫子を自ら整理してまとめるなど、現代まで名を残す業績を多く残し、三国志の中でも強烈なキャラクターで通っている曹操は、「血も涙もない人」「何事もきっちりする人」の代表としてよく引き合いにされます。そのなかでもカジュアルに使われるのが「曹操の話しをすると曹操が来る」で、噂話をしていると当人がやってくる、日本で言うところの「噂をすれば影」に当ります。情報収集に優れている、暗殺がすぐ露見するなど語源は諸説あるようですが、曹操の地獄耳や怖さをよく表していますね。
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身在曹営心在漢
下邳の戦いで曹操に捕らえられた関羽はしばらく客将として働きますが、常に劉備の行方を心配し、曹操に仕えることを頑として拒みます。今いる場所は曹操軍の陣中でも、心は常に漢、つまり劉備と共にある。離れていても心は譲らないというポジティブな意味もありますが、移住した先でも前いた場所の習慣が抜けない、目の前のやるべきことに集中していない、心ここにあらずという悪い形容にも使われます。
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『真・三國無双 ORIGINS』は各章題や平時の場面の充実など、古典としての「三國志演義」のエッセンスを多分に盛り込み、中国文学独特の清濁を感じさせる物語になっていました。改めてオリジナルの漢文から読み直してみると、新しい発見があるはずです。