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2019年4月30日をもって、“平成”が終わります。この時代にはどんなゲームがあり、何があったのでしょうか?
連載「平成ゲームメモリアル」は、その年号の中で起きた、ゲームの出来事についての座談会です。前回では20世紀の終わりについて語りましたが、今回からは21世紀に突入します。その始まりは海外ゲームの躍進、そしてPCゲームの躍進でもありました。平成の半ばではゲームにおける“ある種の国境”が崩れていく、そんなグローバル化の時代を迎えています。
そのころPCゲーム文化に触れ始めたライターや横目で見ていたライター、それ以前より旺盛にPCゲームをプレイしていたゲストを迎えて、第3回では海外ゲームとPCゲームを語ります!
PCゲーム普及に至る布石、前世紀を踏まえた21世紀
SHINJI-coo-K今回は、ヒップホップジャンルの作曲業とフリーランスゲームライターの兼業家SHINJI-coo-K(池田伸次)が司会を務めさせて頂きます。(※以下:SHINJI-coo-K)Game*Sparkでは主に特集執筆やこういった座談会に出席させて頂いています。
第3回は2000年初頭から半ばにかけての海外ゲームやPCゲームの躍進をテーマに据えて語りたいと思います。自分はちょうど本格的にWindowsを使い始めたのが2000年(平成12年)あたりでこの頃からPCゲームに触れ始めました。
G.Suzukiミリタリー系ゲームが好きなG.Suzukiです。自分もPCゲームに触れ始めたのはちょうど2000年ぐらいでした。
葛西祝ジャンル複合ライティング業者、葛西祝です。実を言うと、00年代初期ってPCでゲームをする文化を、アダルトゲーム以外知らなかったというひどいもんでした。
Arkblade今回ゲスト参加の、Game*Sparkでデイリーニュースから特集まで様々な記事を手がけておりますArkbladeです。PCゲーム、という区分だと一人だけ80年代まで遡ってしまう感じです……。
SHINJI-coo-KということはArkbladeさんが1番歴史に詳しいかもしれませんね。少し遡りますが、PCの転換点になったのがWindows 95あたりという印象があります。この頃の時代の肌感覚でPCゲームってどのようなものでしたか?
Arkbladeそれには以前の状況を説明したほうが良いですね。Windows 95、厳密にはIBMのPC/AT互換機のDOS/Vの普及前は各社の独自規格や異なるOSを持ったPCが主流でした。NECのPC-9801やシャープのX68000などですね。
機種ごとの様々な売りや制限の中、多くのゲームメーカーが、その規模によらず、しのぎを削っていました。多くの場合、売上面では決して記録的なものではありませんでしたが、それでも十分な活気があったと記憶しています。
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SHINJI-coo-KつまりPCという存在そのものにも語るべき文脈があるという解釈でよろしいでしょうか。自分はその頃Macintoshを使っていて、あまりDOS/Vには明るくないので興味深いです。
Arkbladeそうですね。それぞれに独自の規格があった結果として、直接海外のものを持ってくることができなかったため、一部の海外PCユーザー以外には洋ゲーは「移植版」が大半だったのです。
G.Suzuki確かに!PC雑誌で読んだぐらいですが、PC版『バイオハザード』などが当時もありましたが、オリジナルのタイトルはほぼ無く、ほとんど移植でしたね。
自分の場合、「PCでゲームが出来る」と知ったきっかけはゲーム雑誌で『ファイナルファンタジーVII』人気が海外でも爆発しているという記事を読んだ時です。
「Windows版『ファイナルファンタジーVII』が海外のみで販売されている」という一文をみかけ、「PSのゲームがどうしてPCで出来るのだろう?」と不思議に思ったのが、PCゲームに興味を持つ一番の理由でしたね。
ArkbladeそのあたりになるとWindows 95、DOS/V全盛の時代に入っていますね。Windows 95における最大の変化は、ある程度の「規格の共通化」が起こったのが大きな一因なのかなと思っています。
結果として、より多くのPCゲーマーが海外ゲームを直接(大抵は代理店の輸入版であったにしても)手にする機会が増え、様々なゲームを楽しめるようになりました。マニアのものであること自体は変わらなくとも「これは凄いぞ」というゲームの共通体験の素地が、より強固に出来上がってきた印象を受けましたね。
もちろんこれは、インターネットの普及なども関わってくる話です。当時はモデム接続でしたが。
SHINJI-coo-Kああー規格の共通化!それってコンソールでたとえると、多数あったハードが統一されたようなイメージのように思えます。
Arkbladeそうですね、今ではPCゲームは基本的にWindows/Mac/Linuxと言った感じですが、その下地が作られた時代です。
インターネットとゲームの時代、そのさきがけ
G.Suzukiインターネットと言えば前回でも話題に出たドリームキャストにも、標準でアナログモデムが内蔵されていましたよね。
葛西祝メガドライブにも「メガモデム」って電話回線を利用した周辺機器がありましたね。月額でオリジナルのゲームをダウンロードできたり、通信対戦ができるようになったり。
セガのハードは90年代の早い段階から、インターネットなどの通信回線を利用しようとしていたけれど、時代とマッチングしにくかった感はあります。それでも『ファンタシースターオンライン』を成功させたことはすごい。
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Arkblade本格的な近代PCゲームの幕開けはWindows 98、及びDirectX 7登場以降ですね。まだ様々なメーカーが競争の渦中にありましたし、それぞれに専用版ゲームなどがリリースされていました。『メックウォーリア2』とか最終的には何バージョンあったのか把握していません。
しかしながら、そのプラットフォームが大きく刷新され、環境も変わった、という部分が大きく現れたのはやはり1996年末から1997年にかけてかもしれません。『Diablo』と『ウルティマオンライン』が登場した頃ですね。
葛西祝おおー!『ウルティマオンライン』、メディアに上がる思い出話がすべて面白いという、無法極まる世界のオンラインRPGですよね。娼館を作ってしまったり、野盗になって他のプレイヤーに襲い掛かり、命乞いをさせたりとか……。
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SHINJI-coo-Kあのめちゃくちゃインパクトのある広告がすごい話題になったのを覚えています。「お父さん、お母さん、就職は決まってないけど、働く喜びがわかりました。」っていう(笑)
葛西祝どうかしてるコピーじゃないですか!やっぱり『ウルティマオンライン』はどのエピソードを切り取っても面白いですね。
Arkblade『Diablo』も負けてないですけどもね。今でも直系タイトルが元気ですし。ただ、どちらも内容を語ると長すぎてしまうので(笑)
簡潔に言うと、本格的なボリュームのオンラインゲームが大きく認知されたのには、話題の共通化が可能だった部分も少なくないのではないでしょうか。また、いわゆる“夢のゲーム”という部分が現実味を帯びてきた時代でもあります。
葛西祝少年時代、確かに友達と「何でもできるRPGってあったらな~」という話をしてましたね。1997年の段階で『ウルティマオンライン』が「何でもできる」をやってくれていた事を後で知りましたよ。
当時は「PCゲームではもうこういうことできるぜ」って教えてくれる友達がいなかったので、コンソールと日本産のゲーム以外に目を向けられていなかったんです。
G.SuzukiMMO(Massively Multiplayer Online、大規模多人数同時参加型)という言葉通り、皆がゲームをプレイして街を……というかライフサイクルを構成する「夢のようなゲーム」みたいな構想はたびたび出ていましたよね。
KADOKAWAのガンダム漫画雑誌「ガンダムエース」で「機動戦士ガンダム」のオンラインゲーム『UniversalCentury.net GUNDAM ONLINE』の紹介記事を2001年頃読んだ時に「宇宙世紀ガンダムの世界をMMOで再現するなんて凄い!」と想像力を刺激されました。実際にリリースされたのはもっと後で、スケールも小さくなってしまったのが残念でしたね…。