Game*Sparkと、数々のクリエイター・アーティストのドキュメンタリー映像を手掛けるArchipelは、共同で運営するYouTubeチャンネル「Cutscenes」でプラチナゲームズの神谷英樹氏のインタビュー動画第2弾を公開しました。第2回は『デビル メイ クライ』誕生にフォーカスし、その後のシリーズがどのように神谷氏のキャリアに影響を与えているのかを紐解いていく内容となっています。
神谷氏へのインタビューを通じ、そのキャリアを総括するCutscenesの新企画「KAMIYA CHRONICLES」。断片的な情報やインタビューはこれまでも多く残されていますが、恐らく本企画のように年代記(クロニクル)的にまとめているものはないだろうということで、いくつかの時代に切り分けてインタビューを公開していきます。初回はキャリアのスタートにフォーカスしましたが、第2回では少し時代がくだって『バイオハザード3』、『バイオハザード4』開発時のエピソードを振り返ってもらいました。
……とはいえ、ここで神谷氏から語られる2作は今世に出ている作品とは少し異なります。当初神谷氏が関わった『バイオハザード3』が、紆余曲折を経て『バイオハザード4』となり、さらにナンバリングが外れて『デビル メイ クライ』となっていく流れが詳らかに語られています。『デビル メイ クライ』が『バイオハザード4』として開発されていたのは周知の事実であり、氏のTwitterでもその時のエピソードも先日ツイートされていましたが、今回のインタビューではその裏側もたっぷりとお話いただきました。アクションへのこだわりや、世界設定のピボットなどを前回に続き三上真司氏とのやりとりなども振り返りながら、どのようにしてシリーズが産声をあげたのかが解き明かされていきます。
さらにインタビューでは、その後の『デビル メイ クライ 2』開発時のエピソードも語られました。「俺、クビになんだ」とすら思ったという開発体制が一新されるという出来事をどのように捉えていたのか、「ユーザーが望む形にはならなかった」と指摘する同作をどのような心境で別の場所から眺めていたのか、当時の複雑な思いも明かされています。とはいえ、そうした経緯があったからこそ、『大神』や『ビューティフルジョー』といった意欲的なオリジナル作品を生み出すことにもなったと語っており、ある意味で幸せだったのかもしれないと当時を振り返りました。
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多くの読者もご存知の通り、その後のリブートに大成功した『デビル メイ クライ』シリーズですが、神谷氏はカプコン時代の同期でもあり、その後のシリーズの方向性を示した伊津野英昭氏の手腕を「素晴らしい」と評し、『ベヨネッタ』の開発にも多大な刺激を与えていることも明かしました。詳しくはぜひ動画をご覧ください。
次回以降は今回の動画でも触れられた『ビューティフルジョー』や『大神』などのエピソードを深掘りしていきますのでお楽しみに。