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前回『聖剣伝説 VISIONS of MANA』で取り上げた話は「実際に降りかかる災い」についてでしたが、今回はそれに対して人間が行う「人身御供」の例を見ていきましょう。クィ・ディールでは御子を選ぶ岸城は4年に一度の祭りでもあり、火の村ティアナでは大きな篝火を焚いて妖精の来訪を祝っていました。御子は一度エリスタニアに集まり祝福を与える儀式が行われます。そこから揃ってマナの樹に向かうのですが……。
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神や精霊などに供物を捧げる「供犠」は人間の根源的なものなのか、世界のあらゆる地域で行われています。作物や家畜、工芸品、狩りの獲物、時にはコミュニティから差し出す人間まで、ままならない自然や死後の冥福など、人の手の及ばない事象に願いを掛ける代償として捧げられます。
キリスト教における「スケープゴート」も、アザゼルに捧げるため山羊を放逐するユダヤ教の儀礼がベースですし、饅頭の由来になった諸葛孔明の逸話も、水害を鎮めるために村人の頭の代わりにしたもの。日本神話では八岐大蛇に贄として差し出され、素戔嗚尊に助けられた奇稲田姫が有名ですね。「怪物の贄にされる(捕らわれる)姫を英雄が救い出す」という形は神話類型で「アンドロメダ型」と呼ばれ、マリオとピーチ姫のように主人公に試練を与える定型によく使われます。
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劇中では御子を選ぶのは妖精ですが、日本では「白羽の矢」という言葉がその名残です。一般的に何かの代表者として選ばれることを表しますが、その起源は人身御供の対象を選ぶものでした。「しっぺい太郎(早太郎)」は白羽の矢が登場する民話で特に有名です。
現静岡県磐田市の見付天神社ではかつて「泣き祭り」という人身御供の儀が行われており、毎年8月10日に白羽の矢で選ばれた一人の娘を、棺に入れて神に捧げなければなりませんでした。ある年に旅の僧が「神がそのようなことをするはずがない」と思って確かめると、贄を求めていたのは神ではなく巨大な狒々の妖怪でした。狒々は「信濃の国のしっぺい太郎に知らせるな」と口走っていたので、僧が信濃(現長野県)に探しに行くと、そのしっぺい太郎は光前寺に居着いた犬だったのです。
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翌年の祭りの日、村人は娘の代わりにしっぺい太郎を棺に入れて捧げました。その夜、山の方からは犬と怪物が戦う音が聞こえてきて、明け方になってようやく静まります。翌朝に村人が確かめに行くと、狒々の怪物は見事討ち倒され、それ以降泣き祭りは行われなくなりました。しっぺい太郎の方は伝承によって結末が異なっており、その場で相打ちになった、光前寺まで辿り着いた、帰り着く途中で猟師に撃ち殺された、などがあります。
人身御供を模した祭礼はいくつかの場所では現在も見ることができ、大阪府大阪市西淀川区では野里住吉神社「一夜官女祭」が毎年2月20日に行われています。中津川の水害に悩まされていた野里の人々が7人の娘を贄として送り出す儀式で、神職が迎えに行くところから、両親との別れを形式的に行い、人の代わりに神饌を入れた桶を捧げるまでを行います。
興味深いのは、この地にもしっぺい太郎と同じような狒々退治の伝説があり、ここでは犬ではなく武者の岩見重太郎になっています。岩見重太郎は怪物退治の武者として講談などの題材にされることから、こちらは後からできた物語と推察されますが、他にも人身御供を求める狒々の怪物、またはそれを対峙する犬という要素が入る伝説が各地にあり、贄にされる娘達を助けてやりたいという想いが根底にあるのは確かでしょう。
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愛知県豊川市の菟足神社では4月の「風祭り」で雀を捧げていますが、昔は猪を生きたまま捌いていたと「今昔物語」に記録があります。言い伝えではその前に人身御供をやっていたとされ、ある時期に東海道を渡す小坂井の橋を最初に渡った娘が選ばれました。ある年に選ぶ役目を負った村人は、別の村に嫁に出した自分の娘が橋を渡ってしまい、我が子だがやむを得ない、といって捕まえました。その橋は「子だが橋」と呼ばれ、廃れた風習を伝説の中に残しています。
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アステカのテスカトリポカの祭祀のように、血を流して人間の贄を捧げる行為は現代日本の感覚だと確かにショッキングですが、異文化の視点でこうした儀礼を「蛮習」と見做すのは文化人類学、民俗学においてやってはいけません。重要なのは、その儀礼は何のために行われ、人々が何を求めているのかを理解することです。相対的に日本の風習もそういう見方をされることがあることを忘れずに。長野県の諏訪大社では毎年「御頭祭」が行われていますが、かつて毎回75頭の鹿の頭を捧げ、その肉を神人共食とするなかなかに壮観なものだったそうです。
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クィ・ディールの御子は捧げられる相手がマナの女神であり、拒否すれば確実に災いが起きるという厄介なもの。類型のように怪物を倒せば済む話ではなく、世界の理そのものを相手にしなければなりません。時に残酷な一面を見せるマナの女神に、ヴァル達はどう相対するのでしょうか。
UPDATE(2024/09/16 10:25) 一部地名に誤りがあったため修正しました。コメントでのご指摘、ありがとうございました。