海外メディアEuroGamerにて、PlayStation発売30周年を記念した特別企画のインタビューが公開されています。
そのなかで元SIEワールドワイド・スタジオの会長ショーン・レイデン氏が、発売当時やPS3時代など、PlayStationの歴史を振り返っています。
ソニーのゲーム業界参入はリスクや反対の声も…初代PSを振り返る
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レイデン氏は1987年にソニーへ入社し、初代PSが発売された当時は本社に所属していました。創業者である盛田昭夫氏のアシスタントとして働くなかで、当時の動きを遠くから見守っていたといいます。
また、94年の半ばには発売前のコンソール版の初代『リッジレーサー』をプレイしながら、「ああ…これはとんでもないことが起こるぞ!」と感じたことが強く印象に残っていると語っています。
しかし一方で、ソニーの社内ではゲーム業界への参入に難色を示す声も少なくなかったようです。当時のコンシューマーゲーム業界は任天堂とセガのニ大勢力が台頭しており、そこに「ソニー」の看板を背負ったPlayStationが参入してシェアを取り合うということは、大きなリスクを伴う闘いだったのです。
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その後、レイデン氏は96年にSIEの前身であるソニー・コンピュータエンタテインメントへ所属を移し、徳中暉久氏らとともに業界参入への思いを語り合ったことや、ソニーミュージックから参加してきたメンバーが連日のように二日酔いで遅刻してきたことを振り返っています。
ソニーミュージックのメンバーたちはスクウェアの開発陣と連日の飲みを通じて営業を重ねており、『FF7』が発表されたときにはソニーの本気を感じたと語っているほか、契約までこぎつけた彼らの執念を称賛しています。
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「PS3はまるでイカロスの翼のよう」…幸運にも生き延びた困難な時代
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インタビューではPS3の時代に触れている場面も。レイデン氏は「PS3はまるでイカロスの翼のような瞬間だった」と語っており、初代PS、PS2と続いたなかでより多彩で高機能なものを作ろうとし、結果として「太陽の近くを飛びすぎてしまった」ようです。
さらに当時を「幸運にも生き延びることができた」と振り返っているほか、コスト管理やベンダーとの対話の重要性、「ゲーム機の中心はゲームであること」など、さまざまなことに気付かされ、初心に立ち返らせてくれたと語っています。
そのほか、EuroGamerのインタビューでは当時のディスクシステムなどの話題やレイデン氏のお気に入りの作品に触れているほか、コンソール業界の未来について語るインタビューなども掲載されていますので、併せてご確認ください。