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続いて、Q-Gamesの歴史について説明。興味深かった点をピックアップします。
11年前に社長のDylan Cuthbertにより京都で創業した当社、この会場にいらっしゃっている方ならご存知のかもしれませんが社長のDylanは根っからのゲームプログラマー。学生時代からずっとプログラマーです。私もゲーム業界は長いですが、彼を見ているとインディペンデントな魂を持ったプログラマーだと思います。
Dylan Cuthbert氏のプロフィールは、17歳にアルゴノートソフトウェア、その後任天堂、次にSCEA、SCEJときてQ-Games創設です。そんなパブリッシャーを転々としてきた中でもDylan Cuthbert氏は個性を持ち続けて作品を放ち続けてきたとのこと。まさに生ける独立精神と言えます。
手がけたものの例として紹介されたのは、PlayStation 3のXMD起動画面一部や、ミュージックビジュアライザーなど。グラフィックスプログラミングもQ-Gamesが行なっていると強調しました。
『X』の続編である『X-RETURNS』を任天堂と協同で手がけた際、『X』への思い入れが強かったため、当初の予定を超えてボリュームがつきすぎたりもしました。当時『PixelJunk』の開発も進んでおり、そこから得たノウハウをDSiウェアの開発でも生かしていました。
公式サイトを開いてど真ん中ストライクに感じた方はQ-Gamesのインディペンデント性に追いついています。ニンテンドーオンラインマガジンの記事も非常に興味深い内容です。「始まりは『パイロットウイングス』!?」のアオリは秀逸。
Dylanが会社を創ったころから、独自のIPが必要だと考えていました。ちょうど私が5年前入社したころ、『PixelJunk』のアイデアが練られていて、当時出ていたPlayStation 3のハイクオリティなビジュアルを生かしつつ、ファミコンのような8bitのようなミニマルなゲームを提供するというコンセプトでした。
自前のIPを持つという発想自体は自然ですが、そこから出てくるアイデアが「8bitでミニマルな最新映像」。『Journey』をはじめとし、敢えて抽象的で漠然としたグラフィックスに見せながら高度な映像を提供するのは今でこそよく知られた手法ですが、先見の明だったということかもしれません。
『PixelJunk』は自前でパブリッシュしたのですが成功を納め、10作品を超えるシリーズとなっています。この成功はゲームクオリティが認められたというのもありますが、海外、アメリカと欧州についてはSCEサンタモニカスタジオと出会えたのが大きかったです。彼らのマーケティング力を生かして販売することができました。サンタモニカスタジオにはインディーゲームに理解があったからこそ、『PixelJunk』がスムーズに受け入れられました。
最近、『Journey』の件でもソニーの協力が奏功したとの指摘がありました。双方ともに(専門的な映像に関する知見抜きには) PlayStation 3のグラフィックス能力を活かすタイトルとしては安易にバックアップされなさそうなタイトルです。
『Pixel Junk』シリーズで一番売れたのはタワーディフェンスタイプの『PixelJunk MONSTERS』なのですが、その理由の1つは社長Dylan直々にプログラマーとして参加したこと。開発の後半で強力に参画し、そして完成し評価されました。
「社長がプログラムするとゲームが面白くなる」。すさまじい話です。そういえば、奇しくも同じく京都に本拠を構える任天堂の岩田聡社長も数々の伝説を持っています。
他にも、日本と同時に海外でも展開できたこと、インディペンデントゲームフェスティバル(IGF)でノミネートされたことなど、いい流れに乗ってシリーズの知名度を上げることができたとしました。また、元々PS3タイトルとして作ってきた『PixelJunk』のPC版がリリースされたのはSteam(Valve)側からオファーがあったから。
動機(後のインタビュー等で解説)はともかく、Q-Gamesほど国内でインディーゲームの先陣を切るに相応しいデベロッパーはそうないのではないかと改めて思わせる内容でした。