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前回の記事では、須田剛一氏と共に8月18日に閉店した渋谷会館モナコに訪れました。
今回お届けする後編では、渋谷近辺のレトロな喫茶店に移動して、実際に遊んだゲームや同店の感想と共に、須田剛一氏のゲームセンターの思い出やレトロゲームに関する考えをたっぷり語ってもらいました。
SUDA51のゲームセンターの思い出
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――とりあえずお疲れ様でした。楽しかったですね。
須田:
楽しかったです!
――実はもっと長い間遊びたかったですが、今回はRETRO51の最初の取材ということで、須田さんのゲームセンターの思い出などをお聞きしたいと思います。
須田:
ゲームセンターはまさに僕にとってのゲーム体験のルーツですね。今日の渋谷会館モナコも35年前に始まったそうですが、その頃はちょうど小学生でした。いわゆる「ゲームセンター」が登場する以前、ボーリング場やコインランドリーにインベーダーやブロック崩しが置いてありました。近所にあったそういう場所が、僕にとっての最初のゲームセンター体験だったと思います。
――須田さんは長野県がご出身ですよね?
須田:
長野県長野市ですね。小学生くらいからゲームセンターが市内に登場してきて、片っ端から行きましたよ。50円や20円のゲームセンターもあって、そういったところをはしごしていました。
当時はまだテーブル筐体ばかりで、窓にはスモークが貼られていて、不良しか来ないところでしたね。そこに小学生の頃、友達と一緒に行っていましたよ。不良のお兄ちゃんに囲まれて、大人の世界に入っていくような感覚がありました。当時はインベーダーゲームも大人の世界だったんですよ。
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――インベーダーなどの初期のアーケードゲームのどこに魅力を感じていましたか?
須田:
テレビの中のモノを動かすことができるというのが衝撃的でした。ブラウン管の中のモノは今までは見るだけだったんです。それを自分で動かすという体験。それだけで衝撃でしたよ。ファミコン以前にも、エポック社や任天堂がテレビで遊ぶゲーム機は作っていましたが、裕福な家庭の子供しか持っていなかった。
――では、1983年にファミコンが登場した時はどうでしたか?
須田:
当時は高校2年生でしたが、同級生の誰かがファミコン本体を買うと言い出しまして、なら「俺がソフトを買う」みたいな感じで分担しました。たぶん、僕が最初に買ったのは『スパルタンX』かな。それで新作が発売されると、仲間の内の誰かが買って遊ぶんですよ。その遊び場が高校の途中から僕の家になって。
だから今、思い出してみると実は自分はファミコン買ってないですね(笑)。誰かのファミコンが実家に置かれていたんですよ。ちょうど家が街の中心にあったので、友達の溜まり場になった。麻雀をやったり、その待ち時間にファミコンをやったり。
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――ありますね(笑)。その感じはサークルの部室っぽいですね。
須田:
まさにそうですね。部活が早く終わったときはみんなで集まって。当時は楽をしようと思ってバトミントン部に入ったんですが、実際にはかなりハードでしたね。野球部サッカー部より練習キツいくらいでしたが、部活が終わった後にみんなと遊んでいました。
――ファミコンが登場した後もゲームセンターに通いましたか?
須田:
やはりあまり行かなくなりましたね。田舎だと高校になるとみんなパチンコを始めるんですよ。僕はギャンブルにはあんまり興味がなかったので、友達がパチンコ行くとき、付き合いで隣にあるゲームセンターで遊ぶ程度でした。当時は『ハイパーオリンピック』、『ジッピーレース』、『忍者じゃじゃ丸くん』とかがありましたね。
なぜか『ハイパーオリンピック』の記憶がとても濃いんだよな。部活の帰りにコンビニに寄って、パンとコーラを買ってゲームセンターに溜まるんです。連打派の奴とモノサシを使っている奴がいたな。仲間内で誰が一番ハイスコア出すか勝負していましたね。
――今日、渋谷会館で見たゲームには、須田さんが知らない最近のものも多かったですよね。須田さんがゲームセンターにあまり足を運ばなくなったのはいつ頃ですか?
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須田:
仕事が忙しくなった90年代後半くらいからですね。ただ高校を出て、東京の専門学校に入った頃、ゲームセンターでバイトもしていました。学校は水道橋だったのですが、駅前にテクモの直営のゲームセンターがあったのです。テクモの社員の方が新しい基盤を持ってきて、ロケテストなんかもやっていましたね。
――ゲームセンターのアルバイト経験は、ゲーム業界に入るきっかけになりました?
須田:
当時はまだゲーム業界のことがよく分からなかったので、自分なんかには入れないと思っていました。ビデオゲームは博士みたいな人が白衣を着て作っているっていうイメージでしたから(笑)。冗談抜きでそう思っていましたよ。
だから当時は、とにかく早く仕事が終わらないかとばかり考えていました。閉店後、終電まで1時間ほど自由にゲームで遊べたので、それが楽しみで楽しみで。当時はナムコの『源平討魔伝』にハマっていましたね。
――ベルトスクロールの傑作ですね!
須田:
『源平討魔伝』は本当に格好良かったですね。キャラクターはとても大きくて、当時は光り輝いて見えました。お店で初めて稼働した時も人だかりができましたね。お客さんも「なんだこれは!」と驚きつつも、誰も触らないんですよ(笑)。それで誰かがお金を入れると、ギャラリーがブワッと集まってきて。でもすぐ死ぬんですよ。「次、誰が行くんだ」みたいな感じです(笑)。
――ゲーム業界に入った後もゲームセンターに通い続けましたか?
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須田:
25歳でヒューマン株式会社に入った後は、仕事も忙しくて通う暇はなかったですね。当時は稼ぎが少ないので、一日のお小遣いが500円でお金もあまりなかった。200円はCDを買うために貯めて、残りはお昼ごはんで食えば終わり。でもヒューマンでは、コンシューマゲームはすべてタダで遊びまくりましたよ。当時は格闘ゲームブームで、若いスタッフの中にはゲームセンター通っていた人もいましたが、僕は「バーチャファイター」や「鉄拳」をコンシューマ版で極めたクチです。
ただ今日、久しぶりに渋谷会館に行って感じたことですが、ゲームセンターは結構パーソナルな場所じゃないかなと思うんです。一人でふらっと来て、一人で遊んでいる人が多かったじゃないですか。なんというか、一人でも入れる居場所のようなところなんですよね。東京や地方に限らず、自分が自分であるための固有の空間。それがゲームセンターの面白いところなんじゃないかな。
――今でもアーケードに通う人たちは、自分が通っているゲームセンターのことを「ホーム」と表現しますからね。他のゲームセンターに行くときは、「アウェイに行く」と言いますね。
須田:
分かります。僕は一時期、駒沢大学の近くに住んでいましたが、その近所のゲームセンターに毎日、通っていましたよ。そこは確かに「ホーム」でしたね。そういった個人的な思い出が残る場所としてゲームセンターは今でも興味深いですね。
SUDA51が考えるレトロゲームとは何か?
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――ところで今日はいろんなゲームをプレイしましたが、どこまでが「レトロゲーム」と言って良いのでしょうかしょうか?プレイしたゲームで、80年代のゲームは『VSスーパーマリオブラザーズ』くらいで、残りは大体90年代のゲームですよね。
須田:
僕が思うに「レトロ」の概念はどんどん広がっているのだと思います。昔はファミコンくらいまでがレトロゲームだったかもしれないけど、今はもう2000年代以前がレトロでいいんじゃないかな。
――現在の人の感覚だと、多分、ファミコンやスーパーファミコン、そしてPCエンジンくらいまではレトロだと思うんですよ。意見が別れるのは、初代PlayStationあたりくらいですかね?
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須田:
グラフィックスに関して言えば、ポリゴンが使用されるかどうかが境目かな。でも最近、感じたんですがNINTENDO64のポリゴンは非常に味があっていいんですよね。ああいった味のあるローポリのグラフィックスもそろそろレトロと言いたくなりますね。
――確かに最近では、初代PlayStationくらいまでのローポリゴンが懐かしく見えますよね。
須田:
そうなんですよ!あのカクカクした感じがかっこ良く見えるんです。初代の『バーチャファイター』なんかは、今見ると美しい。ああいったローポリのゲームをレトロとすると、やっぱり境目はPlayStation2が発売された2000年前後になりますね。
――最近のインディーゲームでは、敢えて古いグラフィックス技術をアートスタイルとして取り入れることがあります。その中でドット絵やボクセルといった表現は、既に確立されたスタイルになっていますけど、実はそろそろローポリのグラフィックスが流行るのではないかと予想しています。
須田:
きっと流行は来ますよ!僕なんかも筋金入りのワイヤーフレーム好きなのですが、そういった観点でローポリの再評価があればうれしいですね。
渋谷会館モナコでの新たな発見
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――今日、プレイした中で印象に残っているゲームはありますか?
須田:
『タンクフォース』がルールを含めて、非常に面白かったですね。91年のナムコのゲームですが、ルールを含めて斬新でした。現在のコンシューマゲームでは、ルールや遊び方が既に明文化されていますよね。でも90年代前半くらいまでのゲームは、新しいルールや遊び方のイノベーションが必要だったのだと思います。パッと見た感じだと、『パックマン』みたいな見下ろし型のアクションゲームなんですが、一発自陣を攻撃されるとゲームオーバーになる。
コンシューマゲームでは、新しいルールを作るとユーザーに理解してもらえないと不安に思うのですが、その辺、斬新な発想を平気で取り入れていますよね。でもそれが面白かったです。目からウロコですよね。シンプルでいながらも、戦略性もあります。こういった素晴らしいゲームを今後も発掘していきたいですよね。
――初めてプレイした格闘ゲームの『北斗の拳』はどうでした?
須田:
熱かったですね!コマンドなどは分からなかったですが、アニメのキャラクターがまんま動いている感じが素晴らしかった。
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――やっぱり格闘ゲームはモーションが面白いですよね。
須田:
そうですね。あと『北斗の拳』はリミテッドアニメ特有のカクカクしたモーションが独特ですよね。
――開発はGUILTY GEARシリーズのアークシステムワークスなんですが、『北斗の拳』は極端なコンボ系ゲームです。そのため、戻りモーションのほとんどがキャンセルされ、技と技のつなぎが一瞬でつながって見えるんですよね。稼働当初はピーキーすぎて、対戦格闘ゲームとしては遊びづらい内容でしたが、プレイヤーの研究の結果、現在でもプレイされています。
須田:
そういったプレイヤーによって新しい面白さが発見されるのもアーケードゲームらしくて面白いですよね。格闘ゲームも昔は必殺技を覚えたり、コンボを覚えたりするには、直接、ゲームセンターに足を運ぶ必要がありました。
――そういった点では、アーケードはストリートカルチャーらしくてかっこ良いですよね。有名プレイヤーには、使用キャラと共に二つ名が付いたりして。
須田:
バーチャファイターが大流行したときは、あの文化は東京ドームみたいな大きなところまで広がっていくように感じましたよ。実際に大きな大会も開かれました。現在でも、eスポーツみたいな形に変化して残っていると思います。
――今後のRETRO51では、アーケードゲームでは90年代の格闘ゲームブーム辺りまでは追っていく感じになりますかね?
須田:
そうですね。RETRO51では、ただレトロゲームを遊ぶだけではなく、ゲームセンターという場所は何かということも考えていきたいと思います。ゲームだけではなく、場所やお店にも焦点を当てたい。今回の渋谷会館は残念ながら8月で閉店になりますが、皆さんには今のうち急いで遊びに行って欲しいですね。
――今日の渋谷会館は本当に味がありましたね。稼働数も半端なかったですね。
須田:
稼働数が190台と書いてありました。あの狭い入り口からは想像できない数のゲームがありました。本当にワンダーランドでした。一日中、遊んでいたいですよね。
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第一回目となる渋谷会館モナコでの取材は以上です。RETRO51では、今後も多種多様なレトロゲームを発掘すべく、実際に様々なスポットに足を運び、SUDA51が語るレトロゲームへの熱い思いから、30年以上の歴史がある文化としてのビデオゲームについて迫っていこうと思います。