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2002年1月22日に米国でリリースされ、2022年に20周年を迎えたElectronic ArtsのPC向けWW2FPS『メダル オブ オナー アライドアサルト(Medal of Honor: Allied Assault)』(以下、『MOHAA』)。本記事では、ゼロ年代のミリタリーシューターにおいて、「WW2」という舞台を一大人気ジャンルとした本作を振り返ります。
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EAによるDreamWorks Interactive買収を乗り越えて開発された『MOHAA』
『アライドアサルト』へ入る前に、日本国内ではローカライズされなかった関係から馴染みの薄い1999年リリースの初代PlayStation向けの1作目である『Medal of Honor』について少し触れましょう。初代『Medal of Honor』はGamesradarに掲載されたメイキングによると、1997年の映画「プライベート・ライアン」のポストプロダクションに追われる最中に、スピルバーグ監督の息子が当時プレイしていたN64の『ゴールデンアイ007』を見て感じた、ビデオゲームを通じて第二次世界大戦への関心を若い世代と共有したいという想いが発端とされています。
初代『Medal of Honor』を開発したDreamWorks Interactive(以下、DWI)は、1995年にスピルバーグ監督が創設者として在籍する映画会社DreamWorks SKGとMicrosoftが出資して設立された会社です。スピルバーグ監督は、初代『Medal of Honor』の開発に深く関わっており、スタッフロールの最後に大きく「Created by Steven Spielberg」と表示しているほどでした。
初代『Medal of Honor』開発には映画「プライベート・ライアン」でも軍事アドバイザーとして参加した元海兵隊員のデイル・ダイ氏を迎えており、チームにおいて様々な進言や訓練を行ったことから歴史考証が深まり教育的な側面を持ったFPSとなったそう。そんななかPC向け『Medal of Honor』の情報が出てきたのは1999年6月のことです。
一方で同時期に起こったコロンバイン高校の銃乱射事件。この事件を受けて本作はゴア表現を無くさざるを得なかっただけでなく、開発終盤においてはアメリカの議会名誉勲章協会(Congressional Medal of Honor Society)の当時の会長であったPaul W. Bucha氏からゲームタイトルとして「“Medal of Honor”を使うな」と反発を受けてしまいます。それでも、脚本兼プロデューサーのPeter Hirschmann氏によるPaul氏の説得により、タイトル変更や発売中止の危機を回避することに成功し、Paul氏は発売後にはコンセプトを支持する側にまでなっていました。『Medal of Honor』はこれらの様々な困難を乗り越え1999年10月末にはリリース。高い評価を獲得しています。
1999年にEAから初代『Medal of Honor』を発売し高い評価を得たことでスピルバーグ監督はフランチャイズ化を希望していたものの、DWIはヒット作に恵まれず(悪名高き『Jurassic Park: Trespasser』も同DWI開発)、最終的に2000年2月にEAへ売却(名前もEALAへ改名)。2000年10月には、DWI名義として最後の作品であるナチスドイツ占領下のフランスで活動するレジスタンスのマノン・バティステが主人公の『Medal of Honor: Underground』をリリースしていました。
『メダル オブ オナー アライドアサルト』は、開発会社2015によって、2000年中ごろより開発されていたものの全貌が明らかとなったのは2001年1月になってからのこと。その後3月にはXbox版も発表されました(当初の発売時期は2001年10月で、同時開発の『MoH 史上最大の作戦』は2001年8月予定だった)。同年5月にはゲームプレイを収録したトレイラーが公開されると共に、E3 2001でノルマンディー上陸作戦でのミッションがプレイアブル出展されています。加えて、初代『Medal of Honor』のPC移植が計画されていましたが、『MoH 史上最大の作戦』と『アライドアサルト』に注力するために中止になってしまっています。
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『MOHAA』でプロデューサーを担当していたRespawn Entertainmentの創設者ヴィンス・ザンペラ氏のインタビューによれば、当初『メダル・オブ・オナー 史上最大の作戦(Medal of Honor: Frontline)』のPC移植をスピルバーグ監督から持ちかけられたものの、「PC市場に入るなら、PCというターゲットに合わせたデザインが必要」ということからPCオリジナルのストーリーやシステムを持つ『アライドアサルト』が生まれたと述べています。
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また9月2日のECTSにおいて『MOHAA』がプレイアブル出展されるも、当初予定していた2001年ホリデーシーズンから2002年へ発売が延期。かつて存在していた『MOHAA』米公式サイトに掲載された、プロデューサーのヴィンス氏とアシスタントプロデューサーのSteve Townshend氏に対しての、この時期のインタビューによれば、引き続きデイル・ダイ氏が軍事アドバイザーとして参加していることや、ホリデーシーズンの発売に合わせるため14ヶ月のフルプロダクションに挑んだことなどが語られていました。
同年12月には、米国での発売日が2002年1月22日に決まると共に、同月20日に完成報告もされています(日本国内での発売日も同じぐらいのタイミングで2002年2月14日と決定)。翌年の2002年1月8日にはシングルプレイデモがリリースされ、17日には日本語/英語に切り替えられる日本語版の情報も登場。1月23日には、日本国内においてもメディア向けの『MOHAA』対戦会が実践されるほどの気合いの入れようでした。
米国で2002年1月22日に、日本で2002年2月14日に発売された『MOHAA』のセールスについては詳しい販売数が報告されていませんが、2002年の米国におけるPCゲームセールスランキングでは4位に食い込むほどでした。
映画的でドラマチックなゲーム体験を作り出した『MOHAA』
『Quake III』のゲームエンジン(id Tech 3)を採用して開発された『MOHAA』は、当時としてはリアリティを備えた高品質なグラフィックや、ドラマチックなゲームプレイを提供したタイトルとなりました。プレイヤーは、破壊工作や潜入任務などを行うOSS(戦略情報局)のマイク・パウエル中尉となり1942年に実施されたアフリカのトーチ作戦から、潜水艦基地への潜入とU-529の破壊、オーバーロード作戦、レジスタンスとの共同作戦、キングタイガー戦車の奪取と橋の防衛、毒ガス生産施設破壊の全6ミッションを戦い抜きます。
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今20年振りに遊んでみると、移動時のヘッドボブ(頭の揺れ)とFOV(視野角)の狭さによる酔いや16:9のワイド画面と高解像度にデフォルトで対応していないことなど、節々で遊びづらさがあるものの(それらの設定にはcfgを弄る必要がある)、リコイル表現を含めた射撃時の感触や、距離に応じて姿勢を変える敵兵の行動などFPSとしての完成度は現在でも遜色ないほどです。
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本作は、リアリティと時代性を両立させたFPSの側面をもちつつも革新性や特異性は抑えめですが、マイケル・ジアッチーノ作曲による壮大でドラマチックなオーケストラのBGMと、劇的で濃密なストーリーを持ったミッションがこれまでのFPSと違う体験を与えていました。
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特に本作を象徴しているのがミッション3におけるオーバーロード作戦の「Omaha Beach」でしょう。このパートは、同スピルバーグ監督による映画「プライベート・ライアン」冒頭約20分の上陸シーンそのままに、機関銃による掃射と砲撃の演出やセリフも含め、映画で見る体験をそのままゲームへ落とし込んでいます。リアリティを抜きにすれば、映画の中に入って戦っているような劇的な体験をプレイヤーに提供した瞬間でした。
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そもそも「プライベート・ライアン」の演出自体がその場にいるような臨場感を持って制作されていることから(カメラの手ぶれや長回しなど)、実際に視聴者がそこにインタラクティブに没入できる『MoH史上最大の作戦』と『MOHAA』のオマハビーチが完成形と捉えることも出来るでしょう。
加えて、本作では同映画を彷彿とさせるマップやモチーフが多く、「Sniper's Last Stand」でのスナイプ対決、「The Bridge」による橋を巡る死闘、「Battle in the Bocage」におけるレーダー施設への攻撃などなど……、まるで映画で使われた実在のセットをゲーム内に再現しているようです。
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一方で、本作は、PS2向けの『MoH 史上最大の作戦』にあった作戦などの歴史解説やメイキングもない事から、教育要素は薄めでゲームプレイに注力したような構成でした。ゲーム性への注力を象徴するかのようにマルチプレイも搭載されており、フリーフォーオールやチームデスマッチ、倒されると復活出来ないラウンドベース、爆弾設置のオブジェクティブが備えられています。なお、キャンペーンでは身体のリーン(傾き)が使用できませんが、マルチプレイにおいては使用可能でした。
また日本語版のローカライズも、独自のランチャーによって日本語/英語の音声、字幕など様々な組み合わせが可能であったことに加え、雰囲気を損なわない吹き替えの品質も本作の魅力を増していました。しかしながら、日本語パッケージ版は古い作品のためかプロテクトがWindows 10に対応しておらず現代のPCでは基本的に起動出来ないのが残念です。
ミリタリーシューターのスタンダードとなった『メダル オブ オナー』シリーズ
PC向けに発売された『メダル・オブ・オナーアライドアサルト』は、最終的に拡張版『リロード(Spearhead)』が2002年11月に、拡張第2弾の『リロードセカンド(Breakthrouth)』が2003年9月にリリースされることに。ゼロ年代後半まで、ミリタリーFPSにおいてWW2がメインストリームとなった瞬間でした。
加えて2000年前後においてスピルバーグ監督の動きを見てみると、1998年に映画「プライベート・ライアン」を公開し、1999年に初代『Medal of Honor』を、2000年に『Medal of Honor Underground』をリリース。2001年には制作総指揮としてWW2における米陸軍101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊E中隊を描いたTVシリーズ「バンド・オブ・ブラザース」の製作に関わり、2002年に『MOHAA』と『MoH 史上最大の作戦』の開発にも深く関与するなど、映画とTVシリーズ、ゲームの3方面全てにおいて成功作を輩出し、世間的にWW2を語る流れを作った驚異的な動きだったのがわかります。
しかしながらスピルバーグ監督は、『MOHAA』拡張第2弾の『リロードセカンド』を最後に、『MoH ライジングサン』と『MoH パシフィック・アサルト』を含めた以降の作品に関してスペシャルサンクスとして記載されるだけで、深く関わることがなくなってしまいました。
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スピルバーグ監督がゲーム開発に深く関わっていた事は同監督を語る際に無視されがちですが、『MoH』後にも氏はゲームへと関わり続け、2005年にはEAと3作品に渡る契約を果たしています。
しかしながら『ブーム ブロックス』とその続編がリリースできたものの、途中まで開発されていた『LMNO』は残念ながらキャンセルの憂き目に。スピルバーグ監督の持っていたゲーム開発に対する熱意と、監督が2009年にDWI売却を「最も賢くて最も愚か」だったと語っていることを思うと、2018年公開の「レディプレイヤー1」で鍵となったジェームズ・ハリデーの“最後の後悔”が、DWIを手放してしまったスピルバーグ監督とどことなく被って見えてしまいます。
今から『メダル オブ オナー アライドアサルト』を遊ぶには、英語版のみですがOriginとGOGから拡張2作がセットになった『ウォーチェスト』版を購入可能なため再プレイ自体は容易。前述のプロテクトの問題もあり、今日のPCでは英語版しか遊べませんが、20周年という機会に、ドラマチックなミリタリーシューターを作り出した本作をプレイし直してみるのはいかがでしょうか?