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12月15日~17日、東京日仏学院にて日本のポップカルチャーを題材としたイベント「Archipel Caravan 2023」が開催されました。
「Archipel Caravan」は日本のクリエイター・アーティスト・文化を題材としたドキュメンタリーを制作しているチーム・Archipel(アルシペル)が主催する、クリエイターに焦点を当てた日本ポップカルチャーの祭典です。
今回のイベントでは、故・飯野賢治氏にまつわる展示や追悼ドキュメンタリーの先行上映を中心に、クリエイターによるトークセッション、ライブパフォーマンス、グッズ販売、ライブドローイング、マスタークラスなどが行われました。
本記事では3日間の開催期間のうち16日のイベントを取材し、飯野賢治没10周年記念展示と追悼ドキュメンタリー後のアフタートークイベントの模様をお届けします。
貴重な資料と作品に触れる––飯野賢治没10年周年展示
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『Dの食卓』で一世を風靡し、その後も既存の枠組みにとらわれず、自らの内にある王道を信じ、突き進んだゲームクリエイター・飯野賢治。2013年にこの世を去って10年が経過しても、飯野氏の残した影響は大きく、現在も業界・ジャンル問わず人々に語り継がれています。今回の展示では氏の手がけたゲーム作品のほか、著作やサービス、企画書、さらに社内FAXに至るまで数々の貴重な資料が展示されています。
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飯野氏が特集されたゲーム誌や本人の手がけた著書も展示されていました。ゲーム業界の著名人との対談もさることながら、異業種の著名人との対談も多く、メディアへの露出が多かった飯野氏。彼の言動や行動はしばしば波紋を広げることがありましたが、それは自身がクリエイターであることの強い責任感に駆られてのものだったのでしょう。
あらゆる文化・物事に対して旺盛な興味関心を持ち、自身が楽しみながらも、開発の際にはひたむきにゲーム、そしてその向こう側にいるプレイヤーと向き合い、常に人を楽しませようとしてきた飯野氏の人柄が残された書籍や資料から伺い知れます。
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特設展示では3DOやセガサターン、ドリームキャスト実機で飯野氏の手がけたゲームがプレイアブル出展。飯野氏が1990年代に手がけたゲーム作品の一端に触れることができました。
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ゲームクリエイター・飯野賢治と株式会社ワープの名を知らしめた『Dの食卓』(1995)。ハイクオリティなグラフィック・サウンドで話題を呼び、国内でインタラクティブムービーというジャンルの代表格となった作品です。後のワープ作品に続くバーチャル女優・ローラが主人公となった第一作でもあります。
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音を頼りに見えない敵「エネミー」と戦うSFアドベンチャー『エネミー・ゼロ』(1996)。備え付けられたヘッドフォンを付けて改めてプレイしてみると、サウンドにこだわった本作の臨場感やシステムが際立って感じられます。
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会場には『Dの食卓2』(『D2』,1999)を遊ぶ親子連れの姿も。本作は飛行機事故で遭難した雪山を舞台にしたサバイバルホラーアドベンチャーです。「ローラ」を主人公とした三部作の最後を飾る本作には、新しい世紀への祝福が込められています。
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それぞれのゲーム展示には企画書や設定、当時の社内向けマニュアルなどが置かれ、世間的にもおそらく初出となる情報も記載されています。もともとプレイステーション用ソフトとして開発されていた『エネミー・ゼロ』の企画書や、製品版では実装されなかったアイデアが多数見られる『D2』の企画書など、非常に貴重な資料を見ることができました。
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飯野氏愛用の楽器や幼少期の姿を映したアルバム、そして未完となった遺作『KAKEXUN(カケズン)』の企画書も展示されていました。
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会場にはフロムイエロートゥオレンジが発行する「飯野賢治 没10周年記念企画」のパンフレットが置かれ、今後の企画の詳細や、氏の著作・ワープ制作ゲーム音楽のデジタル配信について紹介されていました。また、当時のワープの会報「こんにちワープ」のコピーも配布され、在りし日の空気感を伝えています。
飯野賢治没後10周年記念・追悼ドキュメンタリー映像
イベントでは、飯野氏と接点のあった人々を取材した追悼ドキュメンタリー映像『Memories of Kenji Eno』が初披露されました。ゲームクリエイターの小島秀夫氏や西健一氏、ミュージシャンのピエール瀧氏、俳優の浅野忠信氏など、多方面で活躍する人々がインタビューに出演。飯野氏との出会いにはじまり、彼の手がけた作品が時系列に沿って紹介され、各時代ごとに氏の見せていた一面を語るという内容になっています。
このドキュメンタリー映像は2023年12月23日よりArchipelのYouTubeチャンネルで配信開始。惜しくも会場に来られなかった方やこれまで飯野賢治氏を知らなかったという方も、ぜひチェックしてみてください。
上映後のアフタートークでは知られざるエピソードも紐解かれた
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ドキュメンタリー映像の上映後には、飯野氏と縁の深いゲストを招いたアフタートークを開催。2日目となる12月16日は、飯野氏の夫人でフロムイエロートゥオレンジ代表の飯野由香氏をはじめ、親交の深かったゲームクリエイターの飯田和敏氏と水口哲也氏、メディアクリエイターの山田秀人氏の4名をゲストに迎え、飯野賢治氏の知られざる一面やエピソードが語られました。
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ドキュメンタリー映像の出演者でもあるゲストの面々は、映像内でも語られていた飯野氏の行動力や意思の頑なさについて口々に言及。場所や昼夜を問わず自身の作品へのアドバイスを求めてきたことや、ニュースで火山噴火が報じられた際には現地で見ようと周囲に持ち掛け、実際に赴いてチャイコフスキーの曲を大音量で流していたことなど、やると思い立ったらやらずにはいられない飯野氏の人となりが覗えました。
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水口氏はセガで「バーチャファイターRPG」(のちの『シェンムー』)のプロジェクトに関わっていた際、シナリオ研究のために複数人でゲームをプレイする合宿を行い、その時に皆が衝撃を受けたのが『Dの食卓』だったことを明かします。ここでゲームクリエイター“飯野賢治”の名を知り、強烈に会いたいと思ったそうです。
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飯野氏が『D2』開発時に苦悩していた様子について、水口氏は「Unityなどのゲームエンジンが普及していなかった当時はゼロからゲーム製作を行わねばならず、飯野さんの発想や思考スピードと、開発側で起きている現実の問題との間で乖離が起こっていたのではないか。今だったらもっとスピーディーに飯野さんのアイデアを実現できると思う。」と当時と現在のゲーム開発環境の違いを例に挙げました。
さらに水口氏は、『D2』の発表イベントで披露された当時のセガ社長・入交昭一郎氏の顔を使用したポリゴンモデルのモーフィング演出について、自身が手がけたものだったことを明らかにしました。
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飯田氏は自身が手がけた『巨人のドシン』の製作時のエピソードとして「ドシンはキャスティングのトラブルがきっかけで“もうやめよう”と思いつめ、悩んでいるさなか駅のホームで転倒してしまった。その時に突然飯野さんから電話が掛かってきて、俳優の緒川たまきさんを紹介された。結果的にドシンのナレーションが彼女に決まった。」と述懐します。
もはや伝説となっている「エネミー・ゼロ事件」について、飯田氏はその当時、何が起こるかも知らないままイベント会場に呼び出され「一世一代の大喧嘩だから瞬きせずに見てほしい」と飯野氏から言われたこと、そしてそれは直前まで不安だったから自分を呼んだのだろうと語りました。
その後の大騒動は由香氏も現場で目撃しており、「普段ゲームをしないため、初めは何が騒ぎになっているのかわからなかった」と当時のことを振り返ります。
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この騒動からしばらく経ち、社名がフロムイエロートゥオレンジとなった頃、かつての“大喧嘩”の相手であるソニーに向けて企画提案をする場面があったことを山田氏は明かしました。しかし飯野氏は「ごめん、秀人。オレ行けないから」と、山田氏にソニーとの交渉役を任せていたとのこと。水口氏もソニーと再び仕事をできないか飯野氏自身がSCE(現SIE)会長の丸山茂雄氏を通じて相談し、その道すじを探っていたというエピソードを明らかにしました。
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今回のゲストの皆さんは映像にもトークにも収まりきらないほど飯野氏とのたくさんの思い出があり、1時間超におよんだトークだけでは語り尽くせない様子を見せていました。トークの最後は、「Archipel Caravan」の場に集ったすべての人に対する由香氏からの感謝の言葉によって締めくくられ、拍手の内にセッションは幕を閉じました。
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「一緒にいるといつも何かが起こる」「天才と呼ばれていたがインプットに対する努力は常にしていた」「ゲーマー以外の人にも刺さるようなメッセージを届けるのが上手かった」––生身の飯野賢治氏を知る人々の言葉はどれも印象深く、生々しく、端々からクリエイター・飯野賢治の姿が浮かび上がってくるかのようでした。
Game*Sparkでは今回のイベントの共同企画として、飯野賢治氏と親交のあった人々へのインタビューの連載を開始しました!第1回は『リアルサウンド 風のリグレット』などでワープ作品の製作に携わった脚本家・坂本裕二氏へのインタビューです。
ドキュメンタリー映像では見ることのできない坂本氏へのインタビュー。坂本氏から見たクリエイター・飯野賢治とはどのような人物だったのでしょうか。今後も連載は続いていきますので、ぜひチェックしてみてください。