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左上:プラチナリヴァイアサンエディション、右上:シドニーエディション
左下:ゴールデンチョコボエディション、右下:ピクセルキャラクターエディション
先日予約が開始された『ファイナルファンタジーXV』。予約特典のひとつとして、主人公たちの旅を導く車「レガリア」のカラーリングが用意されています。それぞれの入手方法についてはここでは割愛します。
どれが良いか、というのはそれぞれ好みがあるでしょうが、よくよく見ていくと”いびつ”ともいえる構造が浮かび上がってきます。
■「どのように」見えているのか?
いわゆる萌えキャラなどでカラーリングされた車を「痛車(いたしゃ)」と呼んだりしますが、これに最も近いのが「レガリア」の整備を担うシドニーをデザインした「シドニーエディション」といえます。萌え絵とは違うかもしれませんが、美少女キャラをデザインしたカラーリングになっています。ちなみにシドニーは、FFではおなじみ”シド”の孫娘という設定。
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痛車とシドニーエディションの違いを、イラストのタッチの違いで済ませるわけにはいきません。画像を見てもわかるように、シドニーエディションで描かれているシドニーは、ゲーム世界のシドニーそのままなのです。
つまり、シドニーエディションは、プレイヤーの目線では「CGで描かれた女の子の絵」ですが、キャラクターたちの目線でいえば、文字通り「完全に実写」。つまりこれは「初音ミクが描かれた痛車」ではなく、「浜崎あゆみの顔がプリントされたデコトラ」に近いものといえます。
別の点から考えてみましょう。プレイヤーレベルでいえば、シドニーは架空の美少女キャラですが、キャラクターレベルでいえば、仲のいい知り合いの整備士にすぎません。浜崎あゆみや工藤静香のようなアイドル(=偶像)でもない、身近な存在。つまりこれは「痛車」でも「デコトラ」でもなく、プリクラが貼ってあるケータイに最も近いといえるでしょう。「高解像度のプリクラを車に貼り付けた車」。それがレガリア・シドニーエディションなのです。
■「誰が」決めているのか?
このカラーリングをゲーム世界の中で発注しているのは誰なのか。普通に考えれば持ち主である主人公のノクトです。一見クールな性格かと思いきや、体験版をプレイした限り、一筋縄ではいかない性格のよう。『FFVIII』のスコールのような性格なら、車にこうしたカラーリングをすることは断固拒否しそうですが、ノクトならどうか? お調子者のプロンプトあたりにそそのかされれば、愛車のカラーリングとして「写実的な知り合いの女の子」を選ぶのもやぶさかではない、のかもしれません。
その発注に応えて実際にカラーリングをするのは、おそらくシドニーだと思います。自らの姿を精緻に車に描きこむ、という作業をいったいどういう心持ちでこなしているのでしょうか。ノリノリでやっているのか、あるいは発注に真摯に応えるプロ意識なのか。
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誰が決めているのか、という点で考えたとき、気になるのが「ピクセルキャラクターエディション」です。プレイヤーレベルから見れば、これは、ゲーム中のキャラクターたちをデフォルメして描いたデザインに過ぎませんが、キャラクターレベルで言えば、”自分たち”をデフォルメしてキャラクター化したデザインです。
自分たちの姿が描かれた車で旅をするーーこれはリアルに考えると相当痛い。愛娘や愛犬の名前が書かれたステッカー(〇〇 in Car)が貼られた車をごくまれに見ますが、ピクセルキャラクターエディションはその遥か上をいく「自分と親友たちをデフォルメして描いた車」。ある意味でシドニーエディションより痛いです。
とはいえ、ノクトなら、お調子者のプロンプトあたりにそそのかされれば、愛車のカラーリングとして「カワイく描かれた自分と親友たち」を選ぶのもやぶさかではない、のかもしれません。
■父から引き継いだ大切な車「レガリア」
プレイヤーレベル(現実の世界)で見れば違和感のないものが、キャラクターレベル(虚構の世界)で見るとどこか変。上記のようなツッコミが起きるのは、シドニーエディションやピクセルキャラクターエディションが、虚構世界にある事物にもかかわらず、現実世界の要素を含んでいるからです。とりわけピクセルキャラクターエディションでは、人物がメタレベルの目線で描かれることによって、この世界はフィクションです、という事実が暗に示されてしまうと言えます。
タイトルに“ムダに”とつけたのは、こうした現実世界と虚構世界が混じることによる“ひずみ”はFFに限ったものではなく、どんなゲームでもあるからです。「いや、これはそういうものだから(これはプレイヤーの意思、あるいは作り手の事情というメタレベルで決定されているんだよ)」という暗黙の了解があるからこそ、こういった違和感はスルーされていきます。
今回で言えば、このカラーリングは、ゲーム内に存在しつつも、ゲーム外の事情に影響されているという了解。カラーリングの決定は、ゲームの中のキャラクターではなく、プレイヤーが行っているんだ、という了解。
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知り合いのエロい女の子が描かれた車を男4人グループが乗り回す、という痛さ。
女性整備士が自らの姿を、自らの手で写実的に描く、という痛さ。
若者たちがが自らの意思で、自らの姿をデフォルメして描かせる、という痛さ。
そして、父から引き継いだ大切な車に派手なカラーリングをしてしまう、という痛さ。
カラーリングを「現実の世界」のもの、プレイヤーや作り手のものだとすると、当然ですが全く痛くありません。一方で、あえてゲームの世界だけで考えるなら、若者らしい反発心から、こうした“痛さ”を積極的に引き受けているのだ、という解釈もできます。
余談ですが、こっちの世界では、シドニーの格好は「エロい」と表現できますが、あっちの世界では、もしかしたらそうは見えていないのかもしれない、という事態は、フィクションでは往々にしてあることです。
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婚約者が決まっており、次期国王ともなろう息子に引き継いだ大切な車に、破廉恥な格好をした女子が描かれているのを見たとき、あるいは自分と友達の姿らしきものを描いているのを見たとき、はたして父親のレギス国王は何を思うのか……という心配はもちろんスルーできます。このカラーリングは、「現実の世界」のものであり「プレイヤー」が決めたものですから。