日本ファルコムは3月14日、東京都港区増上寺にて、昨年12月15日に78歳にて惜しまれつつもこの世を去った、加藤正幸氏を偲ぶ「加藤正幸 お別れの会」を催しました。

「加藤正幸 お別れの会」では、第一部として関係者が出席する「式典」が実施され、新海誠監督らが弔辞を述べたほか、第二部ではファンの方も参会可能な「献花式」が実施。その他にも、加藤正幸氏にまつわる資料が用意された「展示室」の設置がなされました。


日本ファルコムの創業者として、『イース』『英雄伝説』シリーズなどをリリース
加藤正幸氏は1946年に東京都・平井にて出生。20代の頃に自動車会社のシステムエンジニアとして勤務する中、仕事先で「Apple II」と出会いました。「Apple II」の情報処理能力と先進性に可能性を見出した正幸氏はApple社の公認代理店の立ち上げを決意し、日本ファルコムを設立。立川を拠点に少数精鋭でゲームソフトの開発や販売も手がけるようになり、『ドラゴンスレイヤー』『ザナドゥ』『ソーサリアン』『イース』『英雄伝説』シリーズなど、同社の代表作となるタイトルを国内外に向けてリリース。ゲーム開発において、音楽やストーリーに加え、「作品のロゴもキャラクターの一つであり、商品である」と考えた正幸氏は、作品のロゴデザインにもこだわりを見せたとのこと。「お別れの会」にて配布された栞には、正幸氏が手掛けたロゴデザインステッカーが同封されていました。









「25年前に言えなかった言葉が弔辞になるなんて、とても、とてもとても寂しい」...「式典」では新海誠氏らが弔辞を述べる
「式典」では、かつて日本ファルコムに在籍し『イースII エターナル』『英雄伝説V 海の檻歌』はじめ、ゲーム作品のオープニング映像制作などを手掛けた新海誠(本名:新津誠)監督や、日本ファルコムと深い繋がりを持つ雑誌「コンプティーク」の創刊者でありKADOKAWA元代表取締役である佐藤辰男氏、かつて在日時に加藤正幸氏より多大なる影響を受けたと語る、ゲームデザイナーのヘンク・ロジャース氏らが弔辞を述べました。

以下、新海誠監督による弔辞文
加藤会長、新津 誠(にいつ まこと)です。大変ご無沙汰しております。僕がファルコムに在籍していたのは、1995年から2000年の、今思えばたった5年間でした。それほど短い期間だったのに、加藤会長は今でも僕の夢に出てくる人、第1位です。ちなみに2位は初恋の相手です。初恋は14歳の頃で、僕は発売されたばかりの『イース』にも夢中でした。だから僕の中では『イース』も初恋も加藤会長もどこか繋がっています。会長にお話ししたら「気持ち悪いな」と叱られそうですが。(笑)
会長の声を今もよく覚えています。30年前、入社早々に会長直属のデザインチームに配属された僕は、一日に何度も社長室から「新津!」と名前を呼ばれました。皆さんご存知のように、とても厳しい方です。褒めていただけることなんて滅多にありません。だから「新津!」と呼ぶあの声はちょっとした恐怖でしたが、でも合格発表を聞くように毎回ドキドキもしていました。というのは、会長はいつでも答えを知っていたからです。必死に作ったものが本当にちゃんと美しいのか、ちゃんと面白いのか、いつも教えてくれる、一緒に考え抜いてくださる方でした。
最後はほとんど喧嘩別れでした。自分の作品を作りたいからファルコムを辞めたいという僕の申し出を、会長は最後まで認めてはくださいませんでした。ファルコムを辞めた僕は、ぎこちなく、アニメーションを作り始めました。会長にバレないように、「“新津” 誠」ではなく「“新海” 誠」と名前を変えました。アニメを作り始めてからは随分苦労して、アニメ業界からは馬鹿にもされました。何も知らないゲーム業界から来たやつが変なアニメを作っていると。
そういう時、僕はいつも加藤会長の言葉を思い出していました。「なあ、俺たちはアマチュアだから面白いものができるんだぜ。」ほとんど負け惜しみみたいな言葉ですが、今でも僕の寄りどころです。ちなみに「新海」と名前を変えても、会長には一瞬でバレていたそうですね。結局、ファルコムを辞めた後も、僕はずっと加藤会長の影響の下にいます。
僕の作った「君の名は。」という映画で、瀧と三葉が走りながら名前を呼び合うシーン。あの“円い外輪山”は『イース』の「バギュ=バデット」です。14歳の頃、会長に頂いた風景は今でも僕の原風景で、そして僕は今でも夢で会長に叱られています。目が覚めると背筋が伸びています。
頂いてきたもののお礼を会長にずっと直接言いたかった。言うつもりでした。(日本ファルコムの)近藤社長と会う度に、「会長と会いたいんだよね。そろそろ会ってもらえるかな。」なんて話をしていました。25年前に言えなかった言葉が弔辞になるなんて、とても、とてもとても寂しいです。でも、加藤会長の声は今でも僕の内側にあります。今でも聴こえます。本当にありがとうございました。
令和7年3月14日 新海誠