
その中でも、とりわけソーシャルゲームにおける“RPG”(以下「ソーシャルRPG」)は、これまでの連載で伝えてきた国産RPGの「アニメ化」「キャラ化」「物語の失効」にぴったり収まるものでした。
- 【キャラ】多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指しされることによって(あるいは、それを期待させることによって)、「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの
(第5回 「キャラ」と「ぼく」のあいだ)
物語の登場人物としての「キャラクター」ではなく、図像と特徴のみで成立する「キャラ」は、ソーシャルゲームの中心にある「ガチャ」と相性の良いものです。多種多様な「キャラ」がランダムに手に入るのが多くのガチャに見られる形ですが、物語に縛られた「キャラクター=登場人物」ではなく、物語から解放された「キャラ」だからこそ、それは可能でした。ランダムに仲間になるキャラたちは、主要な物語の登場人物とはなりえません。キャラに個別のエピソードを設けるパターンもありますが、メインストーリーと絡めるのは難しいでしょう。
ここで思い出したのが、RPGシリーズとしておなじみの『幻想水滸伝』でした。同シリーズでは多くのキャラクターが仲間になりますが、物語の途中でほぼ必然的に仲間になり、登場人物として振る舞う「キャラクター」と、ある条件を満たすことで仲間になる、メインストーリーからは遊離した「キャラ」が混在していました。「キャラ」たちは図像的にも特異なことが多く、世界観とは無関係のデザインも許されていました。
ソーシャルRPGは、『幻想水滸伝』における「キャラ」をガチャに放り込み、「キャラクター」を物語の進行役にしているといえます。
そして、かつて「感動的に・終わらせること」を目指したシングルプレイRPGから、「出来る限り・終わらないこと」を目標としたソーシャルRPGへのスイッチには「物語の失効」は欠かせないものでした。物語は、戦闘や育成の“添え物”のようにあとから追加されていきます。中には、物語と呼べるようなテキストすらほとんどない作品もあります。わたしもソーシャルゲームをいくつかやっていますが、(ゲームの終わりという)真の意味での「ラスボス」や「エンディング」を見たことはありません。その点で、ソーシャルRPGはMMOに近いといえます。
さらに遡って、ソーシャルゲームを認知させたカードゲームを「RPG」と呼ぶようになったのも、物語が力を失い、キャラクターが物語を離れ「キャラ」として存立することを許した既存のRPGの変容があったからこそ。ソーシャルゲームの「RPG化」は必然だったといえるかもしれません。
また、「アニメ化」はさらに進行しています。これまでのRPG以上に「豪華声優」はフィーチャーされ、キャラクターの名前よりも「CV:○○」の文字が大きく踊ることは珍しくありません。アニメ的な線画によるキャラは多くの作品でアイコンに使われ、ランキングを賑わせています。