海外のゲームが日本でも当たり前に販売されるようになって久しいですが、翻訳にまつわる問題は今なお解消されていません。フルプライスの作品でも目を覆いたくなるようなひどい訳が存在します。優れたローカライズが評判の『UNDERTALE』はそれらの問題を乗り越え、翻訳において「特別」なプロセスを経て日本語化した作品です。
練習問題の解答
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「AI翻訳」VS「クリエイティブ翻訳」
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ゲームにおける翻訳は文芸や映像と異なり、かなり制約が多いことは皆さんも承知だと思います。翻訳者が使う原文資料は、既存の出版物か完成した原稿、映像と台本がセットのものが渡されます。しかしゲームの場合は全体像が分かる状態でもらえるケースは稀で、キャラクターごとに抜き出した台本、アイテム一覧など、文脈が把握しづらい状態で作業をすることが多いのです。
イベントシーンの会話でも、キャラクターごとにバラバラにされた状態では意味が通るように訳すのはほぼ不可能です。特に「Yes」「No」の返答は直前の質問形式によって意味が逆転し、これは翻訳者だけではどうにもできないところ。ゲームが一通り完成してから作業をスタートするのが理想ですが、世界同時発売の作品ではかなり厳しいでしょう。連載「有志日本語化の現場から」でも話題に上がっていますね。
時間だけでなく予算の関係から、AI翻訳にかけたものをそのまま実装するケースも多く、業者委託にしても、低コストを謳うところはAI翻訳をざっと手直しするだけ、ということもあるそうです。
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そんななか、『UNDERTALE』は2015年のPC発売から約2年をかけて2017年に発売されました。潤沢に時間を取っただけでなく、Tobyfox氏と綿密なやりとりをした上でローカライズされた「特別」な翻訳と言えます。先に存在した有志翻訳と比較して、英語の原文とは全く違う内容になっているとの批判もありましたが、これは通常の翻訳と異なる「クリエイティブ翻訳」が施されているからです。
ディープラーニングによってAI翻訳はかなり精度が上がり、大まかな文脈はかなり自然に訳が作れます。それに対抗するように、最近「クリエイティブ翻訳(トランスクリエーション)」という言葉が出てきました。これは、英語の原文に忠実であることよりも、作者の意図やニュアンスを再現することを重視して、自然な日本語で新たに書き起こす手法です。通常の翻訳でも一部の意味の分かりづらい文を作者に確認を取って変更することがありますが、これを作品全体に広げたようなものですね。
「クリエイティブ翻訳」は広告業では一般的ですが、文量の多いゲームでは無理に近いでしょう。文脈が把握できる完成状態からスタートが必須で、伝えるべき情報を全て拾った上で、逐一作者に場面ごとの意図、そして変更後の確認を取る必要があります。
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本作のようにコミカルな作風の場合、作者の意図するくすぐりポイントでプレイヤーにちゃんと笑ってもらいたいのが当然です。原文に基づいて平素な文になるよりも、大胆に意訳して面白さを出した方が作品本来の持ち味を「翻訳」できています。そのことに気を回さず、ただ意味を訳しただけにしてしまうと、某『B』のような雰囲気をぶち壊しにするようなものになってしまうのです。
原作の持つ「センス」を保存したまま日本語に置き換える、AI翻訳ができない人間のセンスこそ、これからの翻訳者に求められる「クリエイティブ翻訳」です。『UNDERTALE』はほぼ全てのシーンにTobyfox氏の注釈が入ることでそれを実現し、伝えたいことを完璧に日本語化した、翻訳者にとって贅沢極まる作品なのです。
武藤氏
僕たち翻訳者は、最高のゲームに最高の翻訳をつけたいと思っています。最高の翻訳の定義は、あくまで自分が最高と思うという意味ですが、それができるかどうかは、やはり開発者がどれだけ翻訳という作業を重視してくれるかによります。『Undertale』の翻訳が最高なのは、翻訳者も最高なら、開発者も最高だったからでしょう。この、翻訳者と開発者が協力して日本語版をつくりあげていくという過程はゲーム翻訳ならではのものだと思います。
(プロの翻訳者が有志日本語化に抱く想いとは?『VA-11 Hall-A』武藤陽生氏インタビュー「自分が納得のいく翻訳をしたい」【有志日本語化の現場から】より)
それでは、原文、DeepL翻訳を使用したAI翻訳、ハチノヨンによる日本語版を対訳で見ていきましょう。
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英:Long ago, two races ruled over Earth: HUMANS and MONSTERS.
DeepL:その昔、地球上には「人間」と「モンスター」という2つの種族が存在していた。
日本語:むかしむかし ちきゅうには ニンゲンと モンスターという 2つのしゅぞくがいました。
冒頭一発目の文章です。DeepLは大文字の単語に自動でカギ括弧をつける小技を繰り出してきました。このくらいの長さであれば完璧に自然な日本語を出力します。日本語版はファミコンやゲームボーイ時代の雰囲気に合わせるため、漢字をほとんど使いません。同じ文章でも表現を柔軟に変えられるのが人力の強みです。
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英:Your SOUL starts off weak, but you can grow strong if you gain a lot of LV.
What's LV stand for? Why, LOVE, of course!
DeepL:SOULは最初は弱いのですが、Lvをたくさん上げれば強くなります。
LVとは何の略?もちろん、LOVEです。
日本語:はじめは すごくよわい…けど LVがたくさん あがると どんどん つよくなれるんだよ
LVっていうのは LOVE つまり「あい」のことさ!
DeepLは大文字で入力すると特殊な用語として対応することを既に学んでいるようです。ストラテジーなど平素の文が主体のゲームならこれでも十分通用しますね。しかしキャラクターの口調まではまだ判別できません。
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英:Down here, LOVE is spread through...Little white...“friendliness pellets.”
DeepL:ここでは、LOVEは、小さな白い...「親しみやすさのペレット」を通して広がります。
日本語:このせかいではね LOVEは こんなふうに… しろくて ちっちゃな…「なかよしカプセル」にいれて プレゼントするんだ
非公式版では“Down here,”を「ここからLOVEを落としてあげる」と訳していましたが、これは誤訳ですね。正しくは「この場所では」の意味。DeepLはこういう場合の意味理解もかなり精度が上がりました。しかし「親しみやすさのペレット」とはなんでしょうか。造語、適切な類語選択の学習が足りないので、新しい組み合わせではこのような怪しい訳になってしまいます。
日本語版では「なかよしカプセル」ですが、「Pellet」の意味を引くと「物質を球状に丸めたもの」(Longman)とあります。そこから「顆粒状」「弾薬」「丸薬」「動物の飼料」の意味も持ちますが、この中には直接「カプセル」の意味は含まれていません。ではなぜ「カプセル」の語を選択したのか、翻訳の過程を想像してみます。
英語でこの画面を見たとき、植物が発言していて直前に「grow」ともあるので、「Pellet」とは顆粒肥料と取る可能性が高いです。ただし、実際にはそれで攻撃しているので「弾丸」のダブルミーニングになっています。これを成立させるには「ペレット」を使うしかないのですが、日本人が「なかよしペレット」と聞いて、瞬間的にイメージが湧いてくるでしょうか?
翻訳で初出の造語を扱うときは「よく分からないけれどなんとなくイメージが湧く」ぐらいがよく、一度しか出ないのに意味が全く分からないのは悪手です。
ここで一番大切なのは「フラウィがLOVEが詰まった何かをくれるらしい」という状況を示すことで、「ペレット」の語については類似のものがあれば何でも良いのです。他にちょうどいい言葉はないか「Pellet」を掘り下げていくと、薬の意味のところで「カプセル入りの顆粒薬」がありました。「カプセル」ならば「ペレット」よりはすぐにイメージできます。
対訳を見ながら違いを見つけたとき、翻訳者が何故その表現を選んだのか、その言葉を使う利点は何か、原文のままではどうして伝えられないのか、辞書を片手に推察してみましょう。原文の意味をくみ取れる翻訳者になるには、どこまでも適切な言葉を探し続ける、ある種の執念深さが必要です。ベースの翻訳をほぼAIに任せるのが当たり前になり、仕事として翻訳者を目指すなら、今まで以上に日本語のセンスが求められるでしょう。
練習問題:次の台詞を翻訳しなさい。
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WHOA there, pardner!
Who said you could push me around?
最初の1行が口語表現ですね。日本語版では江戸っ子風の大胆な意訳になっていましたね。原文通りでも良いですし、意訳にもチャレンジしてみましょう。