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自由と解放の象徴「ジーンズ」がゲーム産業を創造した!ゲーム会社経営シム『Mad Games Tycoon 2』をプレイしながら「70年代の若者」のパワーを感じ取ってみた

先頃正式リリースされたコンピューターゲーム会社経営シム『Mad Games Tycoon 2』は、70年代の「ゲーム黎明期」からプレイを開始することができます。

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自由と解放の象徴「ジーンズ」がゲーム産業を創造した!ゲーム会社経営シム『Mad Games Tycoon 2』をプレイしながら「70年代の若者」のパワーを感じ取ってみた
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2023年5月末にSteamで正式リリースされたコンピューターゲーム会社経営シム『Mad Games Tycoon 2』は、70年代の「ゲーム産業の黎明期」からプレイを開始することができます。

この当時のゲーム開発産業は、金融機関が融資をしてくれないほどの先行き不透明な新鋭産業。それ故に社員はみんな若者でした。彼らは滅多にスーツを着ることはなく、人前に出る時もTシャツにジーンズ、スニーカーという格好でした。

特にジーンズは、当時の大人からは「あれは肉体労働者の履くもので、ホワイトカラーの服ではない」と見られていました。しかし、世界最先端の若者文化を牽引するゲーム会社の社員にそのような説教は通用しません。ファッションとしてのジーンズが、彼らの行動力の源泉でありアイデンティティーでした。

今回は『Mad Games Tycoon 2』を、「70年代のゲーム業界」と「ジーンズ」というふたつの視点を用いて観察していきたいと思います。

コンピューターゲームを一般的な娯楽にした名作『ポン』

70年代は「コンピューターゲームが娯楽になった時代」と言えます。

1972年にアタリというゲーム会社を立ち上げたノーラン・ブッシュネルは、マグナボックスの家庭用ゲーム機「オデッセイ」に収録されていたピンポンゲームから、あるインスピレーションを得ることになります。このピンポンゲームに独自の工夫を加えたら、もっと面白くなるのではないか。そのような経緯で開発されたのが、今に至る大名作『ポン(Pong)』です。

2人のプレイヤーが上下に動くパドルで玉を跳ね返し、テニスか卓球のようにラリーを続けるというシンプルなルールの『ポン』。試しにバーの片隅に置いたところ、すぐに故障してしまいました。ところが、故障の原因はコインのオーバーフロー。つまり、あまりの人気にコインの収納が追いつかなかったということです。

『ポン』はコンピューターゲームにもかかわらず、ダイヤルひとつで操作できるという強みがありました。これは言い換えれば、工科大学の学生でなくともコンピューターを操作できるという意味です。グデグデに酔っ払った日雇い労働者が「うおりゃーっ! 俺に『ポン』やらせろバカヤロ!」と叫んで硬貨片手にコンピューターゲームをプレイしている……というのは、当時としては画期的を通り越して衝撃的な光景です。

そして、アタリ自体もまさに時代を先取りした衝撃的な会社でした。それはブッシュネルを始めとした役員、社員が履いていたジーンズで読み取ることができます。

「作業着」から「ファッションアイテム」に変貌したジーンズ

©GettyImages

Appleの創業者スティーブ・ジョブズは、かつてアタリで働いていました。

ジョブズは終生に渡るまでのジーニストで、プレゼンの際もリーバイス501をベルトを巻かずに履いていました。これはブッシュネルがアタリに在籍していた時代の社員(いわゆる“アタリアン”)全員に言えることで、70年代の若者は最先端ファッションとして、さらに「自由と解放、大人への反抗の象徴」としてジーンズを履いていました。

©GettyImages

アルバイトはともかく、社長も正社員もジーンズ姿。こんな企業は他にありませんでした。

それ以前のアメリカでは、ジーンズは「労働者の作業着」というのが一般的な認識です。そもそもジーンズ自体、19世紀のゴールドラッシュの時期にカリフォルニアで開発された服。リーバイスの創業者リーバイ・ストラウスが鉱山労働者から、「あのさぁ、もうちょっと丈夫なズボン作ってくんない?」と言われたのがきっかけです。

1961年から64年まで、元プロ野球選手の馬場正平という人が渡米しています。馬場さんは「ショーヘイ・ビッグ・ババ」、そして「ジャイアント馬場」というリングネームのプロレスラーとして活動し、たちまちのうちに人気者になりました。一方、馬場さんはアメリカでの巡業生活の間に「現地の上流社会のドレスコード」を学んでいます。

後年、全日本プロレスの社長になった馬場さんはジーンズやブーツを履いて外出する若手選手に何度も苦言を呈していたそうです。「ジーンズは作業着」「ブーツはガラガラヘビから身を守るための靴」で、どれも都会で身に着けるファッションではないというのが馬場さんの持論でした。

©GettyImages

しかし、馬場さんが活動していた時期から10年経ったアメリカでは、ジーンズとブーツを履いて街中を闊歩する若者で溢れました。ブーツを履きやすいようにする「ベルボトム」という形状のジーンズまで開発されています。

つまり、たった10年の間にアメリカでは極めて大きな「ファッションの変革」が発生していたということです。

引き籠もりのジーンズ集団

『Mad Games Tycoon 2』をプレイしてみましょう。

このゲームは、家庭用ゲーム機というものが登場した1976年を開始時点として設定することができます。現実世界ではこの年にAppleが設立されています。ただし、現代の目から見れば当時のコンピューターはまだまだ初歩的。多くの人にとって、コンピューターは無駄に高価なだけの「必要ないもの」でした。

家庭用ゲーム機も、それを所有している家庭のほうが少数派。しかし、いいソフトを作ればそれを見てくれる人は必ず存在します。ゲーム開発会社の社員がやることは、ただひたすら開発室に籠ってゲームを作るのみ。はっきり言って、その光景はまったく見栄えがしません。

かなり穿った見方をしてしまうと、これは確かに偏見を持たれやすい人たちだな……と感じてしまいます。

実際、70年代のゲーム会社には世の偏見が集まっていたはずです。オフィスに来社する時もスーツではなくTシャツにジーンズ姿、そしてゲーム開発というものはアーケード筐体を自社生産するというものでない限りは原材料を必要としないため、社員は同じ部屋に籠りっきりです。

「だらしない格好の奴らが部屋に引き籠って、なにか得体の知れないことをやっている」

そう思われてしまっても仕方ないかもしれません。『Mad Games Tycoon 2』のプレイ開始時に「スポーツカーを売って会社の運転資金を捻出する」という場面が出てきますが、これも周りから見れば「せっかくのスポーツカーをわざわざ売っ払ってゲームなどというものを作ってる根暗な奴ら」ということになってしまうのでしょう。

実際、そんな「おかしなジーンズ集団」と「ビシッとスーツを着込んだエリート」が対立した出来事がありました。

俺たちはスーツなんか着ないぞ!

『ポン』を大ヒットさせたアタリの企業としての弱点、それは「銀行からの融資が見込めない」ということでした。

当時のコンピューターゲーム会社にはまだ信用がなく、大手金融機関からの融資はまったく望めない状態です。そこでブッシュネルは、ワーナー・ブラザーズの親会社ワーナー・コミュニケーションズがアタリを買収するという案に乗ってしまいます。これはブッシュネルにとっての生涯の後悔事になります。

ワーナーから出向してきた役員は、スーツ姿です。首にはネクタイを締め、磨かれた革靴を履き、アタリアンたちにも同様の服装を求める生真面目な人々。ジーンズをやめてスラックスを履け、会議の最中に酒を飲むな、ちゃんと入館証を首からぶら下げろ。ワーナーの役員は、アタリアンたちに「社会の規則」を教えました。

©GettyImages

しかし、ワーナーのスーツ組には面白いゲームを作るアイディアもなければスキルもありません。そして、若者たちが街中で堂々とジーンズを履くようになった意義を彼らは理解しようとしませんでした。

ワーナーの経営陣とアタリアンの対立は、優秀なゲーム技術者の大量流出という現象をもたらします。創業者ブッシュネルもアタリを追われ、『ポン』を作っていた頃の自由な気風はアタリから完全になくなってしまいました。

ジーニストがゲーム産業を創った!

スティーブ・ジョブズが亡くなった直後、日本で彼のファッションを真似する大学生が急増した時期を筆者はよく覚えています。

今から10年ほど前は、Tシャツもしくはカジュアルな上着にスリムフィットのジーンズ、スニーカー姿で自分の考えた事業計画をプレゼンすることが流行っていましたが、筆者はそれを見て笑っていました。というのも、このファッションはジョブズに限らず70年代に若者として過ごした人の共通項だからです。

彼らは「カジュアルな上着+ジーンズ+スニーカー」という格好で人前に出ることに抵抗がなく、もっと言えば筆者の親父(ジョブズと同年代)も普段はそんな感じでした。親父の場合は上着はフード付きのトレーナーが多かったんですが、それ以外はジョブズでしたよ!

アタリアンにとって、ジーンズは単なるファッションを超えた「時代のシンボル」。それを身に着けていた彼らに「時代を変革させる力」が備わっていたのは、むしろ当然の現象でした。そして、その力を認めない中年がジーンズをやめるよう強制した時、大いなる変革の力は檻と化した一企業を飛び出して世界中に分散されていったのです。


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《澤田 真一》

ゲーム×社会情勢研究家です。 澤田 真一

「ゲームから見る現代」をテーマに記事を執筆します。

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