
『新すばらしきこのせかい』で新宿死神がリードする今回の死神ゲームでは、RNSや謎解きの目印にドクロマークがよく登場します。見ての通り「死」を強く連想させるもので、あまり縁起の良いものではありません。人類である以上頭蓋骨の形は共通なので、古今東西ありとあらゆる文化でドクロのモチーフは登場します。海賊旗に代表されるように、その多くは死の危険について宣告するものです。
人間は人生がいつまでも変わらず続くものだと勘違いしてしまいがち。しかし誰にも死は必ず訪れるものであり、それは明日突然、もしかしたら次の瞬間かもしれない。それを忘れてはならない。このようなメッセージがあり、そのことをラテン語で「メメント・モリ(死を想え)」と言います。
享楽的な時代だった古代ローマ時代には、「メメント・モリ」に関連する言葉として「カルペ・ディエム(その日を摘め)」があります。人間いつ死ぬかは分からないのだから、今という時間を最大限享受しよう、つまり「全力で今を楽しめ!」と言う意味です。「カルペディエム」は「すばらしきこのせかい The Animation」のエンディングテーマのタイトルになっていますね。
この「メメント・モリ」をモチーフにした絵画として有名なのが、ホルベイン「大使たち」です。まずは実際に作品をご覧ください。

おわかりいただけただろうか。描かれている人物は、左側がポリジー領主ジャン・ド・ダントヴィル、右側が司教ジョルジュ・ド・セルヴ。当時イングランド王のヘンリー八世に雇われていたホルベインは、国賓として訪れたこの2人の肖像画を依頼されました。そんな大仕事なのですが、明らかに変なものが2人の足下に描かれていますね。床の模様とは明らかに違う何かが斜めに伸びています。
これを画面の斜めから見てみると…トリックアートになっていて、ここにドクロが描かれているのです。ホルベインは何か思うところがあったのか、その理由については不明ですが、どのような権力者でも死は平等に訪れる、と警告したものと解釈されています。

日本においては、「一休さん」でお馴染みの一休宗純の逸話があります。あるお正月の深夜、ドクロの付いた錫杖を掲げながら大声で「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いたという話です。当然祝賀ムードに冷や水を浴びせられた京都の人々は大層驚いたことでしょう。一休宗純はこれに関連した次の句を残しています。
「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
正月の飾る門松は、人間が死へと向かう過程の通過点であり、また一つ年を取っても、それは単純に嬉しいだけでなく、一歩ずつ着実に死へ近づいていることを示している。これも「メメント・モリ」と似たような考え方ですね。
この画は河鍋暁斎「一休と地獄太夫」。骸骨に乗っかって踊っているのが一休宗純です。一休宗純はアニメ「一休さん」のイメージとは全く違う破天荒な僧侶で、肉、酒、女遊びとやりたい放題。その根底には「カルペディエム」のような考え方があったのかもしれません。そのアグレッシブに生きた姿が人々に語り継がれ、後世に様々な逸話が足されていきました。
このように縁起でも無いドクロマークですが、逆にアウトローの人々には好んで用いられるモチーフです。その意味するところは「いつだって死ぬ覚悟は出来ている」という度胸を示すこと。そういった強がりがむしろ格好いい、粋だと見られるようになりました。

こちらは歌川国芳「国芳もやう正札附現金男野晒悟助」。腕っ節が強くて人を助けずにはいられない歌舞伎の熱血ヒーローを題材にした作品です。着物柄には大胆にドクロをあしらっていますが、よくよく見ると、どれもネコが寄り集まって出来ている模様です。ネコが好きな国芳ならではですね。
江戸時代のように世の中が安定すると、人々は死の恐怖からある程度解放されました。すると死に直結していた亡霊などの恐ろしいものが克服されて、逆に面白いものとして人気を博していきます。

この画は葛飾北斎「小幡小平次」。幽霊の役で人気を博した役者が間男に殺されるも、役そのままに亡霊となって妻共々呪い殺してしまうという物語です。「四谷怪談」「番町皿屋敷」など、江戸では怨霊ものの怪談が大いに流行りましたが、怨霊側にもただ恐ろしいだけで無く、そうなるに至った生々しい恨みと人間性が備わっており、魅力的なキャラクターとして語られるのです。「死」がタブーでは無く、むしろ平時に取り繕っていた人間の本性が暴かれるギミックとなりました。

『新すばらしきこのせかい』では、死神ゲームに巻き込まれたリンドウとフレットは、ゲームが始まったばかりの頃は死神の説明に半信半疑でした。SNSが使えなくなる、周りの人間とぶつからなくなるなど、明らかにおかしいことが続いているにもかかわらず、「消滅」を目の当たりにするまでは「まさか本物のはずが無い」と思い込もうとしていました。

「天災は忘れた頃にやってくる」とは、関東大震災を経験した随筆家寺田寅彦の言葉です。当たり前だと思っていた日常が一瞬で崩壊する、それについては今更詳しく述べるまでも無いでしょう。大丈夫だと思い込んで無策になることほど危険なものはありません。万が一のことを忘れず、しっかりと備えることこそが、あなたの大切な人々を守るのです。