3月28日、全世界のゲーマーは悲しい訃報を目の当たりにした。『コーヒートーク』等で知られるインドネシアのクリエイター、モハメド・ファーミ氏が急逝したのだ。
『コーヒートーク』は、人間と亜人がシアトルにある喫茶店の中で、静かな交流を繰り広げるノベルゲームである。日本でも人気を集め、第2作の正式リリースが待ち望まれていた矢先の訃報だった。
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本作には、ファーミ氏の出身国の価値観がふんだんに詰め込まれている。即ち「多様性の中の統一」だ。先日掲載した記事も参考にされたいが、インドネシアは約2億7,000万の人口、250以上もの民族を抱える世界最大の島嶼国家。首都ジャカルタでは、インドネシア最西端アチェ州出身の人と最東端パプア州出身の人が同じ喫茶店でコーヒーを飲んでいるということが本当にある。
そして『コーヒートーク』の第2作『コーヒートーク エピソード2: ハイビスカス&バタフライ』は、実はインドネシアの現状をそのまま反映しているのではというような内容である。「SNSの発達」が「多様性の中の統一」を脅かすという危惧を、そのまま表しているのだ。
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ファーミ氏は「期待の新星」だった
インドネシアは「ネットインフラの発達による経済成長」を目指している。
その中でもゲームは、工業製品のように原材料を用意する必要のない分野だ。小さなオフィスの中でも作品を制作することができ、Steam等のプラットフォームを使って世界中に配信することも可能である。
去年10月、ルフット・パンジャイタン海事・投資調整大臣はインドネシアのゲーム市場が24兆4,000億ルピアに達しているとコメントした。日本円換算で約2,100億円だ。ところが、インドネシア国内で流通するタイトルの97%が外国製ということも指摘している。これをどうにかして国産タイトルに置き換えるようにしなければならない、というのがルフット氏の発言の主旨である。
その中で地元クリエイターのファーミ氏が生み出した『コーヒートーク』は、世界的な有名タイトルに成長した。これは中央政府が夢見る光景を先取りした現象だ。ファーミ氏は「期待の新星」だったのだ。
ファーミ氏の訃報は、翌日にはインドネシア国内の一般メディアも取り上げ始め、Kompas.com、Liptan6、Suara.comなどがこの話題に触れている。なお、インドネシアでは90年代後半から2010年代序盤の間に生まれたいわゆる「Z世代」が最も高い人口構成比を示しているため(約28%)、ゲーム関連のニュースの注目度は非常に高い。一般のメディアのトップページにも「ゲーム」というカテゴリが用意されているほどだ。
「視聴者はいつだって正しいと思う?」
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『コーヒートーク エピソード2』の先行デモ版プレイレポートは、既にGameSparkで配信されている。この記事は筆者が手掛けたものではないが、今回は話を進める上で参考にさせていただきたい。
『コーヒートーク エピソード2』は、前作の3年後の話である。不眠不休で小説を書いていたフレイヤは旅行に出ていてシアトルにはいない。ジョルジ巡査は相変わらずだが、店にやって来る亜人たちは総じて入れ替わるようだ。
サテュロスのルーカスは、SNSで様々な動画を配信している「ライフスタイルの評論家」。要はインフルエンサーやYouTuberのようなことをしている。そこへバンシーの女性、リオナが来店する。彼女はオペラ歌手志望で、かつて自分が歌っている様子を動画にしてネットにアップしたことがあった。ところがコメント欄は、リオナに対する誹謗中傷に溢れていた。それ以来彼女は、ネットユーザーに対して不信感と嫌悪感しか抱かなくなってしまった――。
「視聴者はいつだって正しいと思う?」
バンシーは少数派で、故に種族差別の対象になりやすい。特定の亜人に向けられたヘイトが、『コーヒートーク』の世界では巻き起こっているようだ。
これは実際のインドネシアで、大きな問題になっていることでもある。