コーエーテクモゲームスは、リコエイションゲーム『太閤立志伝V DX』をPC/ニンテンドースイッチ向けに発売中です。
本作は2004年にPC/PS2、2009年にPSP向けに発売された『太閤立志伝V』をベースに、新武将や追加イベントなど、新要素をくわえたリマスター作品。戦国時代を舞台に、武将はもちろん忍者や海賊、医者などさまざまな職業での立身出世ストーリーをプレイヤーが自由に作り出すことが可能です。
舞台となる戦国時代の日本の各地には、200ヶ所を超える城・町・忍者の里などが登場します。それらは決して架空のものではなく、実際に今から数百年前に存在していた、もしくは現存しているものばかりなのです。
本稿ではゲーム内に登場する拠点を調べることで、より深く作品の世界観を楽しめるという遊び方の提案を紹介していきます。
岩手県在住の筆者が選んだ場所とは?
筆者は現在、岩手県・盛岡市に在住。盛岡市にはかつて存在した盛岡城(不来方城とも)の石垣などが残る「盛岡城跡公園」があり、盛岡市民には散歩コースや花見の名所として親しまれています。今回はこちらを取り上げようと『太閤立志伝V DX』を起動したのですが、ふと、不来方城の下の方にあるとある場所が気になりました。
その場所の名前は「高水寺城」でした。ゲーム内で不来方城は誰も武将のいない直轄領なのですが、この高水寺城は大名・斯波家が所有してしており「斯波詮真」「斯波詮直」の2人が在籍しています(1560年・日輪の章)。申し訳ないことに筆者は不勉強で、この方々や高水寺城との名前を見ても詳しく知りませんでした。
この発見と出会いもなにかの縁。今回はこの高水寺城のことを調べてみることにしました。まずゲーム内での高水寺城は陸中国・山地に建っていて、初期段階で城の規模が8(中サイズ)。本作では大名が住んでいて小サイズの城も珍しくないので、それなりに大きい城であることが伺えます。
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立地的にはすぐ近くに「花巻の町」があり、米や馬などの購入には困りません。ただし周囲には南部家・伊達家・安東家・最上家などの大名があり、主要な道がほぼ塞がれている状態です。幸いゲーム開始時に敵対勢力はありませんが、領土を広げるには少し苦労しそうです。
また、城にいる「斯波詮真」「斯波詮直」はどちらも礼法技能が高めです。説明文ではかつて足利家一門として地方で栄えていたことも記述されています。
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足利から始まる名門・斯波氏!
斯波家の家祖は「足利家氏」とされています。家氏は所領していた斯波郡(現・岩手県紫波郡)の地名を名字として“斯波氏”と称し、以降は子・斯波宗家をはじめとして斯波氏の当主を引き継いでいます。なお、紫波郡は当初家臣に治めさせていたと考えられています。
1335年には足利尊氏から「奥州管領」に命じられた斯波家長が、北朝の勢力拡大を狙うため奥州へと出向。家長が岩手県紫波郡に「高水寺城」を築いたと言われていますが、正確にはわかっていないようです。なお、家長は1337年に戦死、その子・詮経が高水寺城を拠点とする「高水寺斯波氏」の祖とも言われています。
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斯波氏はいくつもの分家を作り、奥州では高水寺斯波氏・大崎家・最上家・天童家などを合わせた「奥州斯波氏」が誕生しています。本記事の主役となる高水寺斯波氏では、1540年代に斯波詮高(大崎家の経歴と伝えられる)が大きく領地を広げる活躍をみせています。
『太閤立志伝V DX』で登場する斯波詮真は、この斯波詮高の孫。詮高の代には隆盛を誇った高水寺斯波氏でしたが、詮真の代には南部家の勢力拡大、後ろ盾でもある足利将軍家の没落などが原因で大きく力を失い、家臣の中には密かに南部家と内通する者も出てきたようです。
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詮高の死で後を継いだ斯波詮直は、内乱を企てている家臣がいるとの忠告を聞かずに遊興に耽っていたと言われています。最終的には家臣の反乱から南部家の侵攻を受け敗北。ついに高水寺斯波氏の系譜が絶たれたのでした。
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詮直はその後、南部家の追撃から逃れて亡命したと伝えられています。その後は隠居した、関ヶ原の戦いや大坂の陣に参戦したなどの説もありますが、はっきりとわかっていません。
高水寺城跡は現在地元の人に親しまれる桜の名所に!
こうして滅んだ高水寺斯波氏でしたが、その居城である高水寺城は南部家によって「郡山城」へと改名され、その後1667年に廃城になっています。高水寺城の一部の古材は盛岡城の本丸に使用されたとされています。
現在の高水寺城跡は「城山公園」と呼ばれる桜の名所として、地元の人々に親しまれています。筆者も桜の時期には何度も花見に訪れた場所だったのですが、そこに歴史のある城が建っていたことまでは知りませんでした。今回は実際に城山後編で、その歴史の跡を見ていきたいと思います。
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城山公園は、岩手県紫波郡紫波町のほぼ中央に位置する小高い山にあります。標高はおよそ180メートル、2000本の桜が植えられており、遊歩道の桜のトンネルはとても綺麗です。公園の頂上、少し傾斜のきつい階段を登った先に、かつて高水寺城の御殿があったようで、現在は看板が建てられています。御殿跡はとても穏やかな広場で見晴らしもよく、休んだり花見には最高のロケーションです。広場内には愛宕神社が置かれています。
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園内にはそのほか若殿屋敷跡など、当時に建物が置かれていた場所を示す看板が建てられていますが、現在はどれも残されていません。郭跡や空堀などの名残もあるほか、一部石垣も残されていましたが、これが当時のものなのかは不明です。小高い山の上にあることもあり、高水寺城はなかなか攻めづらい立地だったのではないでしょうか。
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小高い山の上にあるお陰なのかとても涼しく、緑が多いため散歩にも最適です(坂の傾斜などはきつめですが)。子供用の遊具などもあり、撮影当時はそれなりに人も多く、とても愛されているんだなと感じさせられました。
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ただし、この地域は熊が目撃されることもあり注意が必要です。筆者も姫御殿跡に行きたかったのですが道は封鎖され、近くに“熊注意”の朽ち果てた張り紙が。ちょうど数日前に地域に熊が出没したというニュースもあったため、断念しました。
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花巻の町になぜ「昆布」があるのか?
最後に、ゲーム内で高水寺城の近くにある「花巻の町」に少し触れたいと思います。花巻の町の規模はゲーム開始時では小サイズで、座で扱っている品目は「鉄」「炭薪」「鋳物」「小豆」「酢」「昆布」です。珍しい交易品としては「鉄」「鋳物」「昆布」で、「小豆」も比較的取り扱っている町は少なめです
「鉄」「鋳物」に関しては、まず岩手といえば「南部鉄器」という名産品の存在があります。南部鉄器、とりわけ“水沢鋳物”と呼ばれるものの歴史は古く、そのルーツは平安時代まで遡ると言われています。沿岸地域などでは良質の「砂鉄」が取れたという背景もあるようです。
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「昆布」をはじめとする海藻類は、今も岩手・三陸地域を代表する名産品のひとつです。特に昆布は古くから重要な産物だったようで、平安時代に編纂された「延喜式」によれば陸奥国からさまざまな種類の昆布(ヒロメ)が貢進されたことが明らかになっています。
「小豆」は古くから日本で栽培されていて、古い遺跡から痕跡が出土したこともあるようです。岩手県でも栽培されてきたきたようですが、さまざまな産業資料などを見る限り大きな名産となった形跡は見られませんでした。ただし、岩手の郷土料理に「小豆ばっとう」があるほか、小豆の種類に「岩手大納言小豆」があることからクローズアップされたのかも知れません。
ちなみにゲーム内で現在の岩手県に位置するエリアでは、花巻のみが町として存在しています。そのため、三陸の「昆布」や奥州の「鋳物」など、地域の名産品がこの町に集められたのではないかと思います。
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ちなみに花巻にはかつて鳥谷ヶ崎と呼ばれ、(ゲーム内では登場しませんが)かつては城もあっていたようです。花巻は戦国時代、江戸時代も交通の要所でもあり、宿場町としても栄えたとされています。岩手の産業を集めた町ならば「浄法寺塗」なども欲しかったかなと思うところもありますが……。
ここまでさまざまな歴史を調べてきました。知らずに花見に使用していた城山公園が実は室町時代などまで遡る歴史があり、そこには足利一族から連なる斯波氏の存在があったことなど、多くのことを学ぶことができました(筆者の単純な勉強不足ということもあるかも知れません)。
今回の調査で地元の郷土館や図書館で調べる、実際に現地に行ってみるなど、さまざまな作業を通じて紫波という地域に親しみを持つことができたと思います。『太閤立志伝V DX』では200を超える城や町があり、それぞれが歴史を持っています。ゲームで気になった地元の町や城、人物を調べてみることで、より深くゲームを楽しむことができるかも知れませんね。
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『太閤立志伝V DX』はPC/ニンテンドースイッチ向けに発売中です。
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参考文献
「紫波町の歴史」熊谷印刷 岩手県文化財愛護協会・編
「管領斯波氏 シリーズ・室町幕府の研究(1)」戎光祥 木下聡・編著
「南部諸城の研究」杜陵印刷 沼館愛三・編著
「東北地域産業史」刀水書房 岩本由輝・著
「いわて民衆史発掘」東洋書院 八木光則・著
「岩手県漁業史」熊谷印刷 岩手県・編