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西洋剣戟ゲーム『Hellish Quart』は、本物のHEMA(古式剣術)の剣士をモーションアクターに起用していることでも知られています。
今年9月の大型アップデートで実装された新キャラ「ヤツェク」のモーションアクターは、何とHEMAの世界チャンピオンであるアントニ・オルブリフスキー選手。ロングソード世界1位、サーベル世界3位という超人です。正真正銘の最強剣士のモーションを取り込んだキャラの動きは、格ゲーにありがちな非現実的なアクションではなく、極めて合理的・物理的な動作と言えます。
今回は格闘技歴23年、中国拳法修行中の筆者が西洋剣士の動きを解説したいと思います。
HEMAには「ピスト」がない
筆者はグラップリング、総合格闘技、そして中国拳法といろいろな種目に手を出してきましたが、フェンシングの経験は皆無。何と、剣すら握ったこともありません。
そんな男がなぜフェンシングゲームの技術解説をするのか。それは、HEMAというものはオリンピックフェンシングよりも中国拳法に動きが近いからです。
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オリンピックフェンシングは「ピスト」という細長いフィールドの上で行いますが、HEMAにそのようなものはありません(ピストで行うレギュレーションも存在しますが)。従って、HEMAの剣士は「周回」ができます。『Hellish Quart』に実装されている剣士を挙げれば、スペイン剣術の女性剣士マルタ先生がまさにそれ。円を描くような周回ステップで攻めるスタイルです。
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マルタ先生の武器はレイピアですが、オリンピックフェンシングのような深く鋭いランジ(突き)は行いません。アップライトの姿勢で手首を回して斬りつけるか、相手の目の前にレイピアの切っ先を軽く置く攻撃を得意にします。こう書くと非力な攻撃のように思えてしまいますが、甲冑を着ない1VS1の真剣試合ですから、ちょっと胸に刺さっただけでもブッスリいってしまう可能性があります。
オリンピックフェンシングに近い動きのイタリア剣術の使い手、マリー先生と比較すればその差は一目瞭然です。
柔軟な手首
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さて、世界チャンピオンのモーションを取り込んだヤツェクさんの戦い方を見てみましょう。
サーベル使いのヤツェクさん、身体は大きくゴツく顔もなかなかの迫力。プロレスラーのゴリラ・モンスーン選手(モハメド・アリを投げた人)にそっくりです。ところが、オルブリフスキー選手は痩せ型で精悍な顔つき。……いや、そんなこたぁどうでもいいか!
ヤツェクさん、何がすごいかというと、ゴツい見た目に反してあまり腕を振り回さないという点です。代わりに柔軟な手首をクルクルと回します。
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中国拳法もそうですが、手首を回すことで腕のスイングを最低限に抑えられるという効果が見込めます。手首を中心とする斬撃は、非常にコンパクトで恐ろしく速い! スロー再生しないと目が追いつきません。
いかにも映画的な見た目重視の剣術は、腕を派手に振り回します。しかし、そうなると斬撃の軌道が大きくなります。軌道が大きくなると隙も大きくなり、特に剣を持った利き手が狙われがちに。このゲームをそれなりに長くプレイしていると、小手打ちによる決着がかなり多いことに気がつくはずです。
こちらの小手を相手に打たせず、なおかつ最短距離で相手を斬るには柔軟な手首が欠かせません。
『Hellish Quart』はスポーツゲーム
『Hellish Quart』は『ブシドーブレード』と比較されがちですが、前者はあくまでも古式フェンシングのゲームということに注意する必要があります。言い換えれば、『Hellish Quart』はスポーツゲームです。
HEMAは欧米では競技化され、世界大会も開催されています。しかもHEMAはレギュレーション毎の武器が豊富に用意され、場合によっては異なる武器同士の試合も実施されます。一方で、同じロングソードでもピストの上で戦うか四角形の広いフィールドで戦うか……というレギュレーションも。当然、ピストの有無で戦法にも違いが生じます。
しかし多くの場合、上述の「手首の柔軟さ」は勝敗の行方を分ける要素になります。手首が柔らかいと、攻撃においても防御においても多彩なモーションができるようになるからです。
その点だけを見ても、ヤツェクさん(というよりオルブリフスキー選手)は確かに強い!
伝統剣術は近代戦争に弱い
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『Hellish Quart』という作品に込められた意義をさらに挙げれば、「伝統武術を失伝の危機から救う」という点があります。
現代のHEMAは元々は決闘の技術、平たく言えば殺人の技術です。それが長い時間の中で、誰も死なない安全なスポーツになりました。格闘技やサバイバルゲームも同様です。「戦争や殺人を連想させるから」という理由で競技の存在自体に反対する人も存在しますが、HEMAも格闘技もサバイバルゲームも近代戦争に対して極めて脆弱という事実があります。
自動小銃や爆弾の前では、最強剣士も呆気なく落命します。数百年続く流派の継承者が軒並み戦死もしくは戦災死してしまったために、流派そのものが失伝してしまった……という悲劇は日本でもありました。武術の伝承と発展に、平和は必要不可欠です。
しかし、ヨーロッパ、特に東欧は常に戦争と隣り合わせの状況にあります。本来ならHEMAの世界大会に出場しているはずの剣士が、凍える塹壕の中で銃を抱えているということが現実に起きています。彼らの死は流派の死でもあります。そんな彼らの持ち合わせる技術がいかに価値あるものか、我々人類にとってどんなに重要なものかを広く伝えることが、流派断絶を回避する礎となるのです。
そういった点において、『Hellish Quart』はただの「奇ゲー」ではなく、実は極めて重い役目を帯びた作品と言えるでしょう。