本記事には『The Last of Us Part II』のネタバレが含まれます。
クリア後の閲覧を推奨します。
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『The Last of Us Part II(以下、TLOU2)』は「視点」についてのゲームです。もっと詳しく言うなら、本作は「同じモノを見ていたとしても、見る立場によっては感じ方がまったく異なる」ということを扱ったゲームです。
Game*Sparkや海外のゲームメディアや、最王手の「レビューまとめサイト」であるMetacriticをつぶさにチェックするようなゲーマーの皆さんならご存知かと思いますが、本作についての評価も、「視点」によって大きく分かれています。このゲームを傑作であると感じる人が数多くいる一方、本作に激烈な拒否反応を示すユーザーもまた少なくはないのです。
筆者と編集部の動きが遅れ、発売から約2ヶ月が経っての『TLOU2』レビューですが、遅くなったなりに、リリース後に生まれた様々な視点についても触れていきます。また、段階的にネタバレを含めていくため、閲覧の際はご注意ください。
筆者が思うに、本作について語るに当って3つの大きな「ネタバレになり得る要素」が存在します。まず第一に「冒頭部、物語の動機となる“事件”」。次に「中盤部の大きなツイスト(方向転換)」、最後に「物語の結末」です。まずは、そういった物語のネタバレに触れず、ゲームの見た目やプレイフィールなど「遊び」としての評価について語っていきましょう。なお、本稿は8月14日に配信されたアップデートの適用前のプレイをもとにしています。
細部まで描き込まれた濃密な世界
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本作の大きな特徴のひとつは、今世代最高峰のグラフィックです。文明崩壊後のアメリカはその多くが自然に覆われていますが、ただ美しいだけではなく腐敗や錆などの汚し表現も多彩でリアリティがあります。本作ではゲームプレイのうちほとんどの時間をシアトル付近の地域で過ごすことになりますが、一口にシアトルと言っても、廃墟内/屋外を始めとして都市部や森、島など様々なロケーションがあり、昼夜の変化や光源の変化も相まって風景に退屈することはありません。
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風景や建物などの美術だけではなく、キャラクターの造形や表情の変化による「顔の演技」の表現も凄まじいの一言です。本作ではキャラクターが葛藤する場面が多く登場しますが、細かな表情の変化でキャラクターの心情が表され、セリフによる説明に頼らずともキャラクターの内面を推測することができます。
ムービーシーンでの表情の変化が素晴らしいのはもちろんのこと、プレイアブルな場面でも誰かと会話しているときに内容に合わせて表情が詳細に動くことは、かなりの驚きでした。顔の演技については『Detroit: Become Human』でも同様の衝撃がありましたが、PS4世代末期に来て「不気味の谷」という言葉は過去のものとなりつつあるようです。
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本作にはフォトモードが搭載されていて、自分のお気に入りの場面を切り取れます。個人的には、非プレイアブルのいわゆるムービーシーンであってもフォトモードを実行できるところが嬉しかったです(ただしカメラワークは制限され、全パートで実行できるかは未確認)。前述のように賛否両論ある本作ですが、グラフィックの素晴らしさ、描写の細かさは全てのゲームの中でも最高峰でしょうから、それだけでも充分に購入する価値があると思います。
緊張感溢れるゲームプレイ
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本作のジャンルを筆者なりに説明するならば、「探索要素のあるステルス(スニーク)シューター」といったものです。前作と地続きと言える、基本に忠実かつクオリティの高いTPSとして仕上げられています。極限状況でのサバイバルを題材にしているため、見つかる弾薬/持てる弾薬の制限も厳しめ。拾える近接武器にも使用回数の制限が設けられていますし、物資は常に不足しがちなので、ちょっとした判断の誤りですぐにジリ貧になってしまいます。
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一部のシーンを除けば、敵から隠れることで戦闘をスルー可能ですし、見つからないように一人ずつ始末していくプレイもできるので、基本的には正面からの撃ち合いを可能な限り避けながら進むことになるでしょう。本作の敵は寄生菌に犯された「感染者」と、プレイアブルキャラクターと敵対する様々な人間です。感染者、敵の人間、自分という三勢力が入り乱れるシチュエーションもあるため、相手の位置を遮蔽物越しに特定する「聞き耳」を駆使してその場で細かく状況を判断する必要があります。詳細は割愛しますが、ストーリーの流れ強制的に遭遇する「ボス」もいくつか登場し、それぞれ独特なシチュエーションで戦闘が展開します。
そんな戦闘シーンはとにかく「緊張感」が際立った作りになっているのですが、背景には常に悲壮な雰囲気が漂っています。そのため、この戦闘を「楽しい」とか「面白い」などと表現するのは難しいというのが本音です。総合的には、素晴らしい出来だと思います。
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緊張感溢れる戦闘シーンとは打って変わって、本作にはのどかな探索パートも登場します。物語序盤では、自由な攻略順でセミオープンワールドなゲームプレイを体験するパートがありますし、寄り道や探索できる場所は豊富に用意されているので、世界の「広さ」を感じられます。リニアなゲーム側からのオープンワールドへのアプローチとして新鮮だったので、筆者としては探索パートはかなり気に入りました。
探索/戦闘のバランス配分もおおむね適切であると思います。少なくともプレイ中は「さっきから戦闘ばかりでダルい」とか「そろそろいっちょドンパチ戦ってみたい」とは感じませんでしたし、謎解き/アスレチック要素も『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』と比べて、かなり控えめかつ分かりやすいものばかりです。
無論『アンチャーテッド』シリーズは謎解き/アスレチック要素にフォーカスのあるシリーズですから、単純な比較はできません。しかし、(筆者の練度が足りないこともあり)『アンチャーテッド』シリーズでは行ける場所と行けない場所の判別が難しい状態で落下死することも多かったため、この難易度調整は「改善点」とも言えるでしょう。好みの差はあるでしょうが、グラフィックス、世界観の表現、ゲームプレイは完成度が高いものになっています。
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忘れてはならないことですが、本作には恐らくビデオゲーム史上最大量のアクセシビリティオプションが搭載されています。ゲーム体験を大幅に変えるような項目もあるので設定には注意が必要ですが、「できる限り多くのプレイヤーに遊んでもらいたい」という意識は本当に素晴らしく、感動的ですらあります。筆者はアクセシビリティオプションを必要としなかったため、オプション項目が適切であるか、充分であるかを論評する言葉を持ちません。しかし、このような努力の積み重ねは、大きな称賛に値しますし、今後のゲーム業界に影響を与える前向きな試みだと思います。
本作においてアクセシビリティオプションが豊富であるということは、単なるパフォーマンスではなく、ストーリーの持つメッセージとも一致する極めて重要なポイントです。本作は「視点」についてのゲームであり、「視点」について考えるということは「相手の目線になってみる」ということだからです。
物語と、そのテーマについて
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さて、いよいよ本作の物語とそのテーマについて考えていきましょう。ここからはネタバレ的な表現も含まれるかと思いますので、未プレイの方は注意してください。
物語の冒頭部、エリーは重大な喪失を経験することになります。「重大な喪失」とは、具体的に言えば、前作主人公であるジョエルの死です。
トレイラー映像第1弾の時点から「ジョエルの死」を感じていたプレイヤーはいましたし、その後の映像ではミスリードを誘う表現も見られました。筆者としても、なんとなく本作プレイ前から「ジョエルの死」を予感はしていましたが、実際にゲーム中でその死を目撃することはかなりショッキングな体験でした。筆者以外の多くのプレイヤーにとっても「ジョエルの死」は衝撃的で、本作の評価が賛否両論である理由の一端を担っていると取れます。
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ジョエル殺しの主犯格は、WLFという組織に所属する女兵士「アビー」です。前作プレイヤーにとっては、彼女がなぜジョエルを殺したのかはなんとなく察しがつくわけで、常に胸の中にモヤモヤを抱えたままゲームをプレイしていくことになります。ほぼ常に深刻なトーンの作品ですし、その“モヤモヤ”はゲームを通してプレイヤーの中に絶えず蓄積していくことになるわけですから、正直言って本作を「楽しい」と感じた瞬間は、ほぼありませんでした。本作は感情的な意味で常に辛く、厳しいゲームです。
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アビーへの復讐を目指す中で、エリーは暴力に囚われていき、ついには(自衛のためですが)倫理の究極的な一線を踏み越えてしまいます。そして、そこから物語は大きなツイストを迎えます。犯人側であるアビーを主人公とした第二部のようなパートが始まるのです。
殺した敵が名前を呼び合うなど、人間味を見せてくるWLFメンバーたちを目にして、なんとなくストーリーの持つメッセージ性に感づいていたプレイヤーの方は多いと思いますが、筆者はまさか「相手の目線になる=敵としてゲームをプレイする」ということになるとは思っていなかったので、非常に驚きました。プロローグ部で体験できるアビーの操作パートが布石になっているので、感づかれた方もいるかもしれません。
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アビー編では、彼女がジョエルを殺害するに至った理由と、それまでエリーが虐殺してきたWLFメンバーの生前の姿や人間性が、これでもかというほど描かれます。アビー編への突入は大きな驚きでしたが、その後は「こいつさっき殺したでしょ? こんなヤツだったんですよ!」とか「この犬かわいいでしょ? お前がさっき殺したやつだよ!」なんてメッセージの釣瓶撃ちで、正直筆者も「おいおいなんか説教くさいことになっちゃったぞ……」と感じました。プレイヤーが振るった暴力についてプレイヤーに問い返すようなゲームは多くありますが(本作中で引用されていた『ホットライン・マイアミ』もそうですね!)、『TLOU2』のそれは、かなり極端かつ徹底的だと言えるでしょう。
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第二部開始時点で、アビーは既にジョエルへの復讐を達成した状態にあるわけですから、物語は新たな方向へ転がり出すことになります。彼女が所属するWLFは宗教団体「セラファイト」と戦闘状態にあるのですが、いろいろあってアビーはセラファイトからの脱走者である「レブ」と「ヤーラ」と行動を共にすることになり、単なる敵だと思っていたセラファイトの人間性に触れ、心境が変化していきます。
「敵とは言っても人間だ」「敵にも敵なりの正義がある」なんていうことを口先で述べるのは簡単なことですが、実際にそれを理解できるか、つまり実際に「相手の目線になる」ことができるかどうかは、とても困難なことです。エリーの宿敵であるアビーの操作パート、そしてアビーの敵であったはずのレブとヤーラの物語を語ることで、『TLOU2』は「相手の目線に立つこと」に挑戦しているというわけです。ここで「その挑戦は完璧だった」と言うことはできませんが、野心的なストーリーテリングであることは間違いありません。
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お互いのことを激しく憎しみ合うエリーとアビー。最後の大きなネタバレである物語の結末について、ここでははっきりとした明言を避けますが、個人的にその「決着の付け方」には大いに納得させられました。「二人が憎しみ合うことをやめ、手と手を取り合って理解し合う」といったことはまるでない寂寥感のあるエンディングのおかげで、中盤から感じていたような「説教くさいんじゃないか」という疑問はほぼ解消されました。非常に良いエンディングだったと思います。
とはいえ、物語の不満点がひとつもないわけではありません。アビー編が三日間にわたって続くことはさすがに長く感じられましたし(物語が迷子になっているような感じがしました)、サンタバーバラのシークエンスで唐突に登場する「ラトラーズ」は、最終決戦のシチュエーションをセッティングするために用意されたモブ感が強く、単なる「なんか悪そうな奴ら」としか感じられませんでした。見るからに悪役っぽい小太りでヒゲの白人男性が出てきても、「こいつは嫌なやつなんで殺してもOK!」とは思えませんし、本作のテーマから外れた描き方に感じました。
総評
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本作は非常に高い技術力で作られた意欲作であり、プレイヤーを試すような側面のあるゲームです。そのため激烈な反応を引き起こし、Metacriticなどのユーザーレビューは一時炎上状態になりました。
筆者は本作のことを傑作だと評価していますが、賛否両論になった理由はある程度分かります。理由はいくつかありますが、その中でも最大の理由が、一作目の『The Last of Us』が「倫理の一線を踏み越えるような決断をする結末」だったのに対して、本作の結末は「倫理の内側に(強烈に)踏みとどまろうとするもの」だからだと思います。
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そのため一作目を愛好するプレイヤーの一部にとって、本作は窮屈なものに感じられたのではないでしょうか。先述した通り、一作目である『TLOU』は「倫理を越えた判断によってもたらされる結末」のプレイ後感が独特なゲームです。それはもちろん疑いようのなく素晴らしいものでしたが、一方、それを「余韻がある」と評価可能なのは、プレイヤー自身が倫理を踏み越える側にいるからなのではないか、『TLOU2』はそういった「倫理を踏み越えられる側になった場合は、どう感じるんだろう」という自己批判を誘っているような作品です。ですから、一作目を好きならば好きなほど、本作に対する居心地の悪さは増していくことかと思います。
先述したように、「ジョエルの扱い」については激しい賛否を呼んでいます。ジョエルが一作目で為したことが「悪」として断罪されるような構造を持つプロットだからです(実際は断罪されているわけではなく単に相対化されただけでしょう)。筆者個人の私感ですが、本作の「ジョエルの扱い」は決して軽いものではなく、死んでしまったからこそ追憶の中で愛おしく感じられる、すごく比重の重い存在になっています。ジョエルは注意深くエリーの「父親」にならないように行動しているように見えますが、エリーがジョエルを思い出すときのエピソードが博物館のものなど「父親」を彷彿とさせるようなものであるというのが泣かせるところです。
エリーがジョエルに対して投げかける最後の言葉は、本作のテーマそのものとも一致する非常に重要なセリフなので、本作においてもジョエルは最重要登場人物の一人であることは間違いありません。単にプロットのツイストのために殺される「軽い」存在ではないですし、単に断罪され裁かれる「悪」としても描かれてはいません。
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また、本作を批判する方たちの中には「ポリコレ」という言葉を使い、その窮屈さを訴えるような声も見られます。その多くは「主人公であるエリーが同性愛傾向を持っている」ということが根拠になったものです。そういった(彼らの言う)「ポリコレ」に対するアレルギーによって、本作が必要以上に賛否両論的に見えすぎているという側面は、無視できません。
「ポリコレ」という言葉は語義を離れ、便利に使われ過ぎているように感じます。反暴力や戦争反対のような倫理観を取り扱った作品でさえ、「ポリコレ」と呼ばれることがあるからです。本作が厳密に「ポリティカル・コレクトネス」に寄り添った作品かどうかも議論があると思いますが、ともかく倫理的であろうとする物語がすべて「ポリコレ」であり、批判すべきものであるとするなら、それはそれで非常に窮屈なことになってしまうということは言えるでしょう。
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「物語にマイノリティが登場するということは、マイノリティに“配慮”されている」という考え方そのものが、差別的な構造の証左でもあります。異性愛者が主人公のゲームが異性愛者に配慮されているわけではありませんし、異性愛者が主人公であることに理由が必要ないように、エリーが同性愛傾向を持つことにも理由は必要ありません。
「作品に“わざわざ”同性愛者が登場するからにはプロット上の意味があるべきだ」という考え方そのものが、作品に同性愛者が登場することを阻害しているとも言えるわけです。本来的な意味での「ポリティカル・コレクトネス」は、そういった暗黙の阻害により窮屈になっている物語構造を解放するためのものなので、実は、窮屈さとはまったく真逆の価値観です。ちなみに本作にはエリーが同性愛傾向であるプロット上の意味が実は存在しています。エリーのパートナーが男性であるなら妊娠にまつわる中盤のサスペンスがすべて無化してしまうからです。
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本作発売後の騒動は、本作のテーマが持つ射程の広さ、クリティカルさを遠回しに証明しているかのようでした。前述したように不満点もありますし、筆者が読んだ批判の中にも単なる「ポリコレ憎し」ではない適切な意見ももちろんありましたが、感情的かつ一方的な視点に基づく思い込みによる攻撃は比率としてかなり多かったように思います。まさにその状況も『TLOU2』的であったと思います。
本作は「小さくまとまった作品」ではなく、一作目に匹敵するような広い問いを発している作品です。また、一作目を自己批判するという二作目でしかできない物語を、「敵を操作させる」というゲームでしかできない方法で物語っているので、『The Last of Us』の続編として作られた意味があるのだと強く思います。
最後に、どうしてもこれだけはレビューに入れねばなるまいと思ったため述べておきますが、日本独自の表現規制には毎度のことながらガッカリさせられます(単に開発/販売元の責任ではありませんが)。日本に住んでいるというだけでビデオゲームを本来の意図通りの姿で遊べなくなるのは、ちょっとしょぼくれてしまいますね……。
総合評価:★★★
良い点
・世代最高峰の凄まじいグラフィックス
・セミオープンワールドな探索パート
・豊富なアクセシビリティオプション
悪い点
・アビー編で物語が停滞しているように感じられる
・ご都合主義的に感じられる「ラトラーズ」の存在
・日本国内版の表現規制