近年、『ロマンシング サガ2 リベンジオブザセブン』や『HD-2D版 ドラゴンクエストIII』といった過去作のリメイク作品が相次いで発売されていますが、リメイクの度にゲーマーの間で話題になるトピックの1つに「難易度がリメイク前からどう変わったのか」という点があります。
ですが、ゲーマーそれぞれに「難易度」に関する考え方、難易度を何と捉えるかは異なるでしょう。その中には世代の影響は皆無ではありません。これを踏まえて、本記事ではコンピューターRPGの難易度の世代別の変遷について考察します。
コンピューターRPG黎明期(1970~80年代)の難易度はどのように捉えられていたか
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コンピューターRPGの黎明期である1970~1980年代、それは現代の視点から見ると「高難易度なRPGが当たり前」な時代でした。例えばコンピューターRPGの黎明期の名作にして、今もジャンル名「ローグライク/ローグライト」に名を残す『Rogue』(1980年)も、あるいはそれ以前にアメリカの教育用コンピューターネットワークシステム「PLATO」で動作していた1970年代のさまざまなオンラインRPGも、「パーマデス」(キャラクターは1度死んだら生き返れない)を採用したものが多いです。
国産RPGに強い影響を与えることとなった『ウィザードリィ』(1981年)も、キャラクター蘇生の機会があるにせよ2度の復活に失敗するとキャラクターを失ううえ、後の移植版に比べその状態に陥るケースも多いという、現代の視点から見るとかなり重いペナルティが課されていました。
もっとも、これらはコンピューターRPGに多大な影響を与えた『Advanced Dungeons and Dragons』の影響が大きいとみられます。特に同TRPGの初版は低レベルキャラクターが非常に死にやすく、蘇生の魔法があるにせよ、低レベル帯のキャラクターには蘇生の機会が与えられることがまずなかった(というより、新キャラクターを作り直した方が早かった)ことが多大に影響していたのでしょう。
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一方で同時期でも、『ウィザードリィ』と同じく国産RPGに影響を与えた『ウルティマ』(1981年)は、「死んでしまっても生き返れる」機能を実装していました。ただし、デスペナルティがあまりにも重い(武器や乗り物・所持金を失う、復活位置がランダム)ため、死んでしまったらリセットして最後にセーブした場所から遊び直すプレイヤーが大半だったようです。
「ゲーマーならRPGではなくアドベンチャーゲーム」?当時は高難易度だったんです
当時のゲーマーがこれらの要素を高難易度と思っていたか?については意見が分かれるところで、例えば「ウィザードリィ ハンドブック」(1986年、BNN刊)には、当時のPCゲーム誌「遊撃手」(BNN刊)に寄せられた「ウィザードリィなんてダンジョンを回って敵を倒してレベルを上げるだけで簡単でつまらない、ゲーマーならばアドベンチャーゲームをやるべき」という趣旨の中学生の読者投稿が紹介されています。
「アドベンチャーゲームがRPGより高難易度」というのは現代のゲーマーからすると驚くべき意見かもしれませんが、当時のアドベンチャーゲームは現代のようなコマンド選択で進行するようなものではなく、自分でコマンドをキーボードから入力していくものでした。正解のコマンドにたどり着くまでには相当の発想力や、ゲームが受け付ける記述について開発者の思考を類推する推察力を問われるものも多く、当時のアドベンチャーゲームは一筋縄ではいかないジャンルだったのです。「レベルを上げて物理で殴ればいい」という、今でもRPGを揶揄して言われるような概念が当時すでにあったことにも驚きです。
2作目以降の『ウィザードリィ』にはこうしたキーボード入力の謎解き(FC版移植ではアイテムで代用)が登場したのは、こうした意見が決して少なくなかったからなのかもしれません。とは言え、先述の「ウィザードリィ ハンドブック」の読者投稿欄には「ウィザードリィ難しい!」という意見が大半であり、「簡単だ」という意見は少数派であったことは留意する必要があります。
国産PCでのRPGブーム到来。コンピューターRPGの難易度は1980年代に頂点に達していた!?
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時代は下り、コンピューターRPGが日本に輸入され、そして『ザ・ブラックオニキス』、『ハイドライド』、『ドラゴンスレイヤー』(ともに1984年)といった国産のコンピューターRPGが作成されるようになるのですが、ここで挙げておきたいのが「終了認定証」の存在です。
『ザ・ブラックオニキス』は早期クリア者に実際の黒瑪瑙をプレゼントするというキャンペーンを行っており、また『ハイドライド』もゲームクリア者に対し「終了認定証」を発行、また行き詰ったプレイヤーにはヒント集を送付するというユーザーサービスを行っていました。現代のRPGではほとんど行われることのないサービスですが、これは裏を返せば「当時のRPGはそう簡単に解けるものではない」「解けること自体が一種のステータス」であったことを如実に示しています。
「RPGを解けることはステータス」という価値観はコンピューターRPGの難易度の向上を招き、次第に「これ本当に解けるの?」というようなゲームも現れます。
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そのコンピューターRPGの難易度のインフレの極北が『ロマンシア』(1986年)であり、かわいらしいグラフィックとは裏腹に取り返しのつかない要素やノーヒントの謎解きが多数散りばめられ、その上セーブ機能もないという、「まさに外道」としか言いようがない何かとなってしまいました。
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しかしながら、こうしたコンピューターRPGの高難易度化の風潮に疑問を持った開発者もいたようで、『夢幻の心臓II』(1985年)はウルティマ型の見下ろし画面と最大5人のパーティ戦闘を組み合わせ、丁寧にプレイすれば誰にでもクリアできるRPGとして後の国産コンピューターRPGに大きな影響を与えました。
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そして『ロマンシア』に続く日本ファルコムのゲーム『イース』(1987年)は「RPGは今、優しさの時代へ。」をキャッチコピーとし、理不尽な謎解きを極力減らしてRPGの高難易度化の流れに歯止めをかけた作品となり、2024年現在でもシリーズが続く名作となりました。
FCで『ドラゴンクエスト』誕生。以降のJRPGへと繋がっていく
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当時のPCゲームにおけるRPGブーム、そして「ファミコン」ブームを経て、満を持して登場したのが『ドラゴンクエスト』(1986年)です。本シリーズではそれまでのコンピューターRPGの良いとこどりをし、死んでも「所持金半減」と比較的薄いペナルティで復活できる、そして時間をかけて経験値を積み、最低限の謎(ゲーム内でヒントの示された、シビアな前提条件を要しないキーアイテムの取得などを中心としたもの)さえ解ければ誰にでもクリアできる……というJRPGの方向性を確立させました。
『ドラゴンクエスト』の大ヒットは多種多様なコンピューターRPGのフォロワーを産み出しました。FC『女神転生』シリーズは「3Dダンジョン」という特性を『ウィザードリィ』から受け継ぎながら、武器・魔法の多種多様な「属性相性」を(マスクパラメーターであるが)実装し、以後のコンピューターRPGに大きな影響を与えました。
また、ここまで語ってこなかったコンピューターRPGの難易度を構成する要素として「リソース管理」があります。この点に関しては、この時代のコンピューターRPGではゲームの容量の都合上、限られたインベントリやMPといったリソースで長期的な探索を見据える……というものが大半を占めます。
これは『ウィザードリィ』『ウルティマ』、FC版『ドラゴンクエスト』シリーズや『ファイナルファンタジー』シリーズ、『女神転生』シリーズのすべてに通じます。特にJRPGの骨子が出来上がって以降は、個々の戦闘のシビアさは全体で見ればそれ以前と比べ控えめになる一方で、大量の戦闘を通じたリソース管理の重みがより強くなります。中でも『ファイナルファンタジーIII』のラストダンジョン(テストプレイヤーの一言がきっかけでラストダンジョン内のセーブポイントが消滅)の長期間にわたるリソース管理は、当時を経験した多くのプレイヤーの心に残ったのではないでしょうか。
冒険を成功させるための「難易度」
こうして80年代のRPGを紐解いていくと、「RPGの難易度」というものはなにかと注目されがちな、単純な「戦闘の難易度」だけでなく、デスペナルティの重さやリソース管理、謎解きの答えの誘導の自然さなども含めた「冒険を成功させるための難易度」という事もできます。そのあたりもひっくるめて、『夢幻の心臓II』『イース』『ドラゴンクエスト』はJRPGへ至るための転換点だったのではないか?と筆者は考えます。