ちょびっとコラム―アクセシビリティについて
最後に、余談ではあるが、筆者が考えを改めたという話をしたい。アクセシビリティについてだ。
本作のアクセシビリティは、2台のコントローラーを同時接続し同じように操作を受け付ける「Co-Pilot」や、フォーカスを使わずとも登れる場所がハイライト表示されるほか、トリガーエフェクトの強弱などを備えている。正直、この設定項目を眺めて「何がアクセシビリティやねん」と思ってしまった。ゲームの難易度を細かく調整できることをアクセシビリティと呼ぶことで、世間や投資家へのアピールをしているように見えたからだ。
極端な例ではあるが全盲のゲーマーが手助けなしにクリアしたことも話題となった『The Last of Us Part II』や、近年のユービーアイソフトタイトルに見られるナレーション機能など、明確なハンディキャップを持ったプレイヤーへの取り組みを、筆者は「アクセシビリティ」と定義していたわけだ。
今一度「アクセシビリティとはなにか」について調べた結果、マイクロソフトが公開している「Xbox アクセシビリティ ガイドライン」へたどり着いた(同様に、SIEもアクセシビリティ意識向上に向けた取り組みを提示している)。
マイクロソフトのアクセシビリティへの取り組みについては、AUTOMATONの記事が詳しい。詳細はリンク先を読んで欲しいが、マイクロソフトが掲げるアクセシビリティの目的は「あらゆる人が、“本当に行いたいこと”を達成できるようにすること」にあると言う。
ここで筆者自身に当てはめてみた。筆者は先天的に視力が弱い。当たり前すぎて気にも留めなくなっていたが、駅の電光掲示板やファーストフード店のメニュー表などはスマホのカメラで拡大して読んでいるし、スマホ向けゲームの文字は基本的に読めない。これは何も筆者だけでなく、老化現象によって多くの人間に起こることだ。
冷静に考えると、我々のようなプレイヤーも、字幕の表示サイズオプションなどのアクセシビリティ設定の恩恵を受ける対象ということに気付いたわけだ。筆者は「ゲームの難易度はクリエイターがベストバランスと考えるひとつで良い」と考えている古臭いゲーマーであり、クリエイターの押し付けるものをベロベロと舐め回して遊ぶのが好きだ。
しかし、このような考え方は古いものであり、様々な形のアクセシビリティが存在するという認識を持った(ただ、アクセシビリティとゲームデザインの共有が難しいタイトルが、多様性に反するなどの理由で反発的な見方をされないか不安という懸念も同時に生まれてきた)。筆者にとって『Horizon Forbidden West』は、アクセシビリティへの見方を改めるきっかけであったよという話でした。