Doomguyが喋った!?

ストーリーのある一点で、主人公の過去の映像が流れます。そこでなんとDoomguyが喋るのです。とはいえ、もちろん一切が謎に包まれていた訳ではなく、過去のシリーズではペットのウサギ(デイジー)を飼っていたなんていう設定があったりもします。
火星に開いた地獄のゲートという設定も初代から使われている世界観ですが、2016年版『DOOM』からはしっかりとユニバースが設計されているようです。なぜ彼は話さないのか、なんていう部分も文書として発見できたり、『DOOM Eternal』はシナリオの答え合わせをより明確に提示してきた印象があります。

彼が「過去の映像の中」で少しだけ喋るというのは、制作陣にとって最大の譲歩かもしれません。悪魔さえも逃げ出す最強の戦士という気持ちよさは、プレイヤーが楽しむ「興奮と冷静」の戦闘がそのまま重なることでより強固なものとなります。
Doomguyがパーソナリティを持ちすぎると、『DOOM Eternal』は”彼の”物語となっていきます。ストーリーを重視するタイプの作品ではないとはいえ、作品を包む雰囲気に乗って「自分こそがDoomguyだ」という感覚を損ないたくないと感じるプレイヤーも少なからずいるのではないでしょうか。
筆者はこの点だけをもって、その表現を批判しようとは思いません。2016年版『DOOM』で示された情報は断片的だったとはいえ、主人公がもつ怒りの正当性をおぼろげながら読み取れる内容でした。だからこそプレイヤーは、悪魔を徹底的に倒すという気持ちを乗せて、より戦いに熱中できたとも言えます。
あくまでも『DOOM』シリーズの根幹は、ひたすら悪魔を打ち倒す作風にあります。様々なストーリー設定は、プレイヤーが戦う気持ちよさを更に得る為の舞台装置として活きています。その模索のなかで生まれたひとつの表現だとするならば、筆者は制作陣による新たなチャレンジとして受け入れたいと思います。